世界は称賛に値する

日記を書きます

月曜日の始まり

▼▼人生を視る時の視野を、次第に、より拡げていくような形で、習慣や日々や行動を設計し直していけるかなー、いければなー、と考える。将来まで考えるとかではなく──正確には「将来まで見通す」ようなことも含めて、目前の数日だけを刻んでいくのではない視点「も」あってよいかと思う。判断の枠組みに「幅広い枠」とかがあまりなくて、なくても結構巧くやりくりできるけど、あったらよさそうじゃない? って考えてみた。
▼▼起床時刻は午前7時。勤務は休み。遊ぶ楽しむはしゃぐ也也、って感じかな。
▼▼歴史視点で「今日」を見つめる、って言うかなあ。昨日からの──可能ならば昨日までの、文脈を捉え直し、脳内に置き直して、今日、っていう日を見つめ直す──判断してみて計画してみる、って習慣とかが、あってもよいかな、なんて考えている。ここまでの足取り、道のり、って、意外と見てない。想像以上に見直していないからだ。

昨日の出逢いニュース。記憶の強化と忘却の排除とおすすめというところです。

→ 「「算数の解き方は、問題の固有性に注目するもので、それは世界に送る眼差しそのものであり、いわゆる方程式を使う中学以降の普遍的方法とは異なるものだ」ということを伝えたかったからなのだ。つまり、算数は数学に併合されてしまうわけではなく、むしろ、忘れ去られてしまうもので、それは残念だ、ということ」

→ 「しかし、人間は抽象的な危険(「チーターがいるかもしれない」)について思いを巡らすことができてしまうため、物理的世界への理解が深まるにつれ、世界は「どんどん危険になっていく」。科学、文化、宗教、法律などは脳が訴える耐え難い不安を軽減するために生まれてきた。不確実性が不安を誘発する。不安は解決されなければならない」

→ 「最初のレベルはレベルってほどのもんじゃないよね? それは現象なんだ。君は華々しく新しいブログを始める。今まで書いた中で最高の初投稿を行う」

「フォーマリズムは、持たざる者のための技法だ。教養も教育も十分にはなく、血筋や権威やコネクションもなく、財産も経験も語彙も貧しい者が、とりあえず、自分にとって見えるような形で、今、ここに、あらわになっているものだけを頼りに、今、ここにある自分の身体と記憶の反応(反響や徴候)だけを頼りに、何かを判断し、手元にある貧しいものだけを使って何かを組み立てる」

→ 「演劇は食えないという話は良く聞く。芸能の類はたくさんの人に一度に見せることができるという特性があるので、そうなるのは当然だ。上位の人はよりたくさんの客を集めることができるので、客単価を上げることなく収入を増やせる。そして、客にしてみれば、同じ金を払うなら上位の人に払う方を選ぶだろう。結果上位の人に客が集中し、下位と上位の収入格差は広がることになる」

→ 「ベストセラー作品の場合って、誰が読んでも面白いみたいな感じってあるじゃないですか?たぶんああいうのは、どの鍵でも開けられるみたいな管理者用の鍵みたいなものじゃないかな。別にそういう作品も僕は好きだけど、この作品の場合鍵の形がなかなか特殊で、それに見合った錠でないとうまく合わないみたいな、そういう感じがしました」

→ 「そう考えるとたしかに、欲望の対象にしか思慕を抱かないなんて、つまんないことなのかもしれないな」

→ 「アナウンサーや声優さんは年を取っても声が変わりません。通常、年を取ると声がしわがれたり低くなったりと、変わってしまいますが、これは筋肉が衰えるからです」