世界は称賛に値する

日記を書きます

火曜日の始まり

▼▼出掛ける予定が待っている。新幹線だ。慣れた。緊張も切迫もなくなった。新幹線の間際に本を買うのが好きだ。というか、単に本を買うのが好きだ。新幹線の時間を口実にしているだけだろう。けどまあおそらく今日買わないかな。読みたいものが溜まっているからだ。最近整理してみたら、読みたいものが沢山発掘できたので、読みたいよう! と思えたのだった。推薦文で感銘を受けた『戦う司書と恋する爆弾』をまず読んでみようと思っている。正直『ネルリ』と悩んだ。が、購入順で落ち着かせた。試験勉強はファイナンス系で考えている。進行中の『デザイン思考の仕事術』も読もう。

昨日出逢って記録しておきたくなった言葉です。ニュース。記憶インデックス。

→ 「つまり、怖いという感覚はとても特別なこと、言語による記述が追いつかない領域のこと、なにかの理由にはなってもそれ自体は理由を持たない、理性の底のほうにあるものだと、彼女は言いたいのだろう」

→ 「だから世界観の意識的な書き換えはきわめて困難であり(しかし不可能ではないと信じたい、芸術とはまさにそのための行いだ)、そして、世界観の崩壊は同時に、身体イメージの崩壊であり、つまり精神と能動性の崩壊、その人そのものの崩壊となってしまうだろう」

→ 「あいづちをされると相手は自分の意見が受け入れられているように感じ、自尊心が満足します。反対に、聴きながら少しも首を動かさなかったり、横に振ったりすると、話している方が次第に不安になります」

→ 「でも、これだけは言っておきたい。最後の最後の231ページでぼくは、ケツからモヤモヤを大量に突っ込まれた。ぼくが読みたいのはこういうところだったんだ、と思ったのが、こんな感想を書こうとした理由である。お父さんの話、一応理由づけても明らかに処理しきれていないモヤモヤした個人的な話が与えてくれたこのモヤモヤした気持ちに動かされなかったら、ぼくはこんなイヤなとこのある感想なんか書かずに、ほっぽいといたろうと思う。この本で、ここだけが名作に対抗していた」

→ 「ぼくが「こんにちは」と挨拶すると、参加者のみなさんは「こんにちは」と返してくれます。そこで「こんばんは」と言葉を変えれば、やはり「こんばんは」と返してくれる。でも「やあ!」と声をかけると……」

→ 「主人公の新子は後者の現実を色鮮やかに見つけなおす事にかけては一流で、それに伴って作品内の防府の町はその意味と価値を膨らませていく。なぜ泣いたのかよくわからないって意見があったけど、その辺も一因じゃないだろーか。演出や展開以前に個別の要素が持つ意味と価値をすごく上げてあるのです。ほんのちょっとした事で感情が揺さぶられるくらいに」

→ 「その10年前のことを4年前に6年前ってタイトルで日記に書いていたので、そのうち自分は日記になるなと思った」