世界は称賛に値する

日記を書きます

トランス的水曜日

昨日の感想と最近の思索

→ 哲学的ゾンビって概念を扱うには、感覚の全般を「おしなべてオッケーですアリですつまり存在を許しますよ」なんて見なすしかないみたいだなー、って思う。本当の痛みや哀しみ――と――偽物の傷みや哀しみ、みたいな区別を言い出して――区別が可能だとか考え始めて、その俎上で、とするとこれは偽物の傷みなんじゃないかな? とか「問い掛けられそうな曖昧なもの」を「哲学的ゾンビ」側――ほんとうは感じてないぜ側、にぽんぽ放り込みだしたら、ま、最後はしっちゃかめっちゃかだろう、と思ったのだった。

→ 思考の切り口によっては「自分すら哲学的ゾンビと見なしうる」って言っちゃえるんじゃないかなー? でもそれを言い始めたらもうグダグダだよなー、みたいな。

→ 定義や意味を深く考えず壊してるだけ、っていうか、概念適用範囲をミスしているだけなのかもだけど。

→ 感覚があるってことまでを「人間機械論」みたいな「メカニズム視線」の中に閉じ込められるなら、そこから逃れられる「哲学的ゾンビじゃないもの」は、もう、どうなっちゃうんだろね。考えうるのかね? 考えられそうとか思ってしまっているわけだけど、できるような気がする、っていうのは、おおむね勘違いで気のせいだったりするから、置いておこう、って思った。

→ しなければならない、なんてことはない、って言うのは言いたくなるなー。義務だって我々のものじゃん、みたいなことは考えてしまうからだろう。だからいつだって義務から逃れられる、ってことではないけど……。

→ しなければならない、って縛りから逃れられるところも、時間をかけて調整していけば軽減したり解消したりできるところも、人生程度の時間じゃ解決しきれないところも、いろいろあって、あるいは逃れようのないところもあるんだろうけれど、いずれにせよ、総計するなら、ま、ぼくらのものって言えるんじゃないかな、って思うのだった。

→ 誰かに干渉できる、って思想は、経験則的に言うなら、正しい、っていうか、構成されて当然の経験則だよな、とは思う。なんていうかなー。経験則舐めちゃ駄目だよね、ってことを考えているのかな。

昨日の備忘録

→ 「まめfile」から「X−Finder」にファイラを変更した。わかりやすさと2画面を欲したと言えるかな。
→ 「面倒くさがり屋がToDo管理10の失敗の果て」という情報が有益だと思った。行動管理は試行錯誤が前提で、沢山の情報で切り貼りしていく必要がある、って認識している。
→ 「頭脳流入」という文章が楽しくて、ロバート・フェルドマンさん、金慶珠さん、ジェラルド・カーチスさん、などを記憶した。
→ 「女子力を上げたい、とその子は言った」って文章が楽しくて、褒めや評価との向き合いかた、あたりは難しい問題なのだよなーって思うし、女性の「かわいい」にも難しさを感じる。

昨日の行動記録

→ 「自宅」試験勉強→『経営戦略 新版』を読み進める→「世界はあたしでまわってる体験版」を試してみる→「G線上の魔王」を進める→『ブギーポップ・クエスチョン 沈黙ピラミッド』を再読する

昨日の購買記録

→ 特になし

昨日の読書記録

→ 『経営戦略 新版』大滝精一ほか(経営戦略) 読み始め
→ 『企業経営理論テキスト』TAC(経営戦略) 復習
→ 『サクラダリセット』河野裕(小説) 軽く再読
→ 『ブギーポップ・クエスチョン 沈黙ピラミッド』上遠野浩平(小説) 軽く再読

本日の起床時刻

→ 午前09時30分

本日の勤務開始

→ 休み

本日の行動予定

→ 「日常的活動」計2時間
→ 「試験勉強する」計6時間
→ 「趣味的な読書」計1時間
→ 「日記を書く」計1時間

本日の学習予定

→ 「新規範囲」3時間30分
   ――「企業経営理論/講義第二回 予習」      60分
   ――「企業経営理論/講義第二回 視聴続き」    90分
   ――「企業経営理論/講義第二回 概観まとめ」   60分
→ 「復習範囲」2時間30分
   ――「復習」  9月15日分 (昨日分)     30分
   ――「企業経営理論/講義第一回」         60分
   ――「企業経営理論/ポーターを読む」       60分

本日の読書予定

→ 『説明上手になれる「らくがき」の技術』ミリー・ソネマン(図解術)
→ 『経営戦略 新版』大滝精一ほか(経営戦略)
→ 『企業経営理論テキスト』TAC(経営戦略)
→ 『ブギーポップ・クエスチョン 沈黙ピラミッド』上遠野浩平(小説)
→ 『ポーターを読む』西谷洋介(競争戦略)