世界は称賛に値する

日記を書きます

幻の手羽先食べて考える

▼昨夜は飲んだ。鶏肉を食べた。意外なほど手羽先を食べた経験は少ない、かなー、とか考えていた。特に認識や理解を持っていなかったせいだろう。持てるような経験を踏めなかった、と言える。関係性やら機会やらが与えられなかった。関係を持った上で関係ないぜと切り捨ててしまうのは違うだろう、とは考えている。考えるようにしている。無駄で損に繋がりやすくなるんじゃないか、と判断しているからだ。けれど、切り捨てるってところまですら辿り着けないほどの無関係は、どうしょーかな、とも考えている。能動をうまいことこなしていくだけでは世界や人生は楽しくしきれないようだ、ってことだ。極限の幸せは受動すらどうにかしようとするところから始まるのだぜ、というかな……。まあ無謀ではあるだろう。あるんだろうけど、ぼろぼろでぐだぐだになろうとも、可能な限りでも、やるだけやろうぜ、と覚悟を決めてみるだけで、統計的に偶然を誘いやすくなる瞬間があったりもして、つまりは運命論とか確率論とかによっても、世界は楽しくすることができる――できそうだったりするから、素敵なんじゃないかなー、っていう楽観は少し持っている。というところに安住しちゃ駄目、って印象も強いけれど……。踏まえてだ。