世界は称賛に値する

日記を書きます

難しく考えることと楽しく笑えることの重要性

▼難しく考えないほうがいいんだろうな、とか考えていても、難しく考えてしまうことはあって、難しく考えないほうがいいんだ、という思考は、難しく考えることの抑制剤にはなりにくい。別の予防策を練るか、いつの間にか難しく考えてしまっていた時に巧いこと撃退する術を模索しておくべきなんだと思う。撃退か中和を目指しつつだ。▼職場に到着して、準備を始める。情報を確認し、処理を実施する。あまり明るい状況を想定してはいなかった。不測の事態を懸念していた。経験から言えば、かなりありえた。結果的にはわりと幸せな状況だったと言える。軽く息をつけた。安心できた。いちおう不調は去りつつあるようだった。個人の問題すら解決できないことを改めて思う。世界を救う、という言葉の無謀さ無茶さを考えていた。だからこそ素敵だ、とも無論言えはする。▼移動して会議に参加する。準備には不安があった。おのれの迂闊さを知っていたからだ。簡単に言えば、物忘れが多いのだった。最近は意識している。検閲を厳重にしている。だから物忘れは減った。減ったが、だからこそ稀な物忘れを恐れてしまいもするのだった。とはいえ問題はなかったと言える。問題なく終えることができた。頑張ろう、と思う。笑っておのれを誇れるものにしよう。▼終了後、忘年会に参加。社内における人間関係にはほとんど不満がない。僥倖なのだろう、と判断してはいる。けれど実感しているかは怪しい。話すのは楽しかった。雰囲気は明るいもので、和気藹々という言葉が似合った。まわりの人間と楽しく話せること、は、人生においてどれだけ重要なのだろう、とか時おり考える。強がりが聞きたいのでも諦めが聞きたいのでもなくて、人間の精神構造が『屈託なく笑える楽しい会話』を必要とする割合はどの程度なのだろう、が知りたいだけだったりはする。