世界は称賛に値する

日記を書きます

わかろうとするときにおこなうこと

▼要するに『わかる』というのは、経験と素養を礎にして構築されてきたおのれの『世界観』の中に、ここに置けばしっくりくる、と思えるだけの新たな場所を発見する――発見して位置づけることができる、ということなんだなあ、と改めて認識した。▼比喩としては『電化製品』などを考えたりもした。いわゆる『世界観』には『回線を繋ぐところ』が無数にあって、未知の『視点』の背後からは『繋がなくてはならないケーブル』がいくつも伸びていて、すべてか、せめて『重要な箇所』だけでも繋げることができなければ、結局『世界観』はそれを認証することができない。新たな視点を加えることができない。理解もできない。▼だから、新しい『視点』の情報が導入されるたびに、これまでの『世界観』に接続することができないか、繋げられるところがないか、確認や点検をおこない続ける羽目になる。思考を変幻させて、感覚を変容させて、繋がらないかなー、という試行錯誤をおこない続ける。要するに、横たわらせたり裏返したりして、予想外のところに繋げられるところがないか確認したりする。変換機が必要になることもある。優秀な変換機は、真理を突いたひと言、なんて言われたりすることもあるようだ。というような思考。