世界は称賛に値する

日記を書きます

論理的である、ということ

▼論理というのは『言葉の繋ぎかた』のことである、なんてことを野矢茂樹氏に習ったつもりになっている。ので、論理的かどうか、という問いは、言葉がきちんと繋がっているか、という問いと同等なのだと考えてしまっている。ゆえに、論理的でない、ということは、言葉がきちんと繋がっていないよ、ということであり――ということだけであり、対象の意見が持つ意味自体をどうこうするものではないはずだ、と考えていたりもする。というか、ざっくばらんに言ってしまえば、見たところ根拠が書いてないように見えるんだけども、という指摘のことなのだろうな、なんてことすら思ってしまっているのだ。▼論理的である、というのは、意見に根拠がきちんと綺麗に書いてありますね、ということに過ぎず、論理的じゃない、というのは、意見に根拠が記されてないみたいだけども、というだけのことなのではないか、なんて思っているのである。要するに『文章が持つ形状の問題』として捉えているわけである。が、この捕捉に妙な不安を覚えてしまう。のは、どこか浅慮の匂いを感じるからか。最近は短絡すぎる気配があるからなあ、と嘆息した。