世界は称賛に値する

日記を書きます

貴女のために、と、神様のために

▼大切なあの人のために、なんて考えたりしていると、強さみたいなものがどこかから生まれるようだ、なんてことを経験から学んだ。だからこそシミュレーション的に活用したりもしている、わけだ。▼信仰によりもたらされるもの。信仰によって手に入る強さ。というようなものについて、時おり考える。信仰は『恐怖や不安を駆逐することができるだけの強さ』を与えてくれるし、時にそれは『信仰が恐怖や不安を撃退してくれている』ようにも見えたりするのだろう、なんて『信仰』に対しては考えていたりする。▼現状の私は私は、両者を、同一線上にあるものとして理解してしまっている。同じ匂いを感じてしまっているのだ。信仰というのは『大切なあの人のために』なんて思うときの応用編なんじゃないかなあ、なんて考えてしまっているのである。だから、現状の私の思考においては、宗教や信仰といったものは、あまり違和を覚えるものでもなければ、新規で理解しがたいものでもない。普段の思考の延長線上にあるものに過ぎない、のだ。が、無論、さすがにざっくり切り開きすぎなんじゃないかなあ、と思うこともある。所詮は概観、か。