世界は称賛に値する

日記を書きます

十二番目の天使(オグ・マンディーノ)

十二番目の天使

十二番目の天使

▼思考対象は選択できる、と思っている。頭の中に思い浮かべること、は、ある程度自由に選べるのではないか、と思っているのだ。ちょっと猫のことを考えてみてよ、なんて言われて、猫のことを考えることは、そう難しくないし、正義というものについて、か、なぜ人を殺してはいけないのか、か、なぜみかんを食べると爪が黄色くなるのか、か、好きな問題を選んで考えてみてよ、と請われたりして、好きな思考対象を選択するのも、それほど難しいことではないからだ。だから、なるたけこれを考えるようにしよう、と思考し決意して、頻繁にそれを考える癖をつけることも、できるだろう、と思っている。▼あるものについてずっと考え続けることは、あるものに対する思いや考え、を、わずかずつであれ更新し続けていくことだろう、と思っていたりもする。洗練していくことだろう、と思っているのだ。だからたとえば、ファッションについてずっと考え続けていけば、思考はいずれ更新されて、やっぱりファッションに対する気持ちは少しずつ変わっていくだろうし、ともすれば、その気持ちから派生するであろう行動だって変わっていくのではないか、と考えられているのだと思う。料理や異性、あるいは人生だって同じである。思い続ければいつか夢は叶う、とか、努力し続ければいつか必ず報われる、なんていう話では無論ない。しつこく考え続ければいつかなにかが変わってしまうに違いないぜ、というような、ひどく漠然とした話だ。▼おのれに対して語りかける言葉、に、ポジティブなものとネガティブなもの、があるのなら、できるだけポジティブな発言を心掛けたほうが人生は楽しいものになるだろう、というような言説は、おおむね正しいものに思える。おのれに語りかけることは思考すること繋がるからだ。というか、繋げることができる、と思っているからだ。経験的にそう思える。▼まとめてみようと思った。思い浮かべる対象は選択することができるようだ。思考し続けることは思いや考えを更新し行動を変えることすらあるようだ。おのれに対する発言は思考に繋げることができるようだ。という三つの判断を信じていながら、おのれになにを語りかけるかの選択が少しずつ人生を変えるのだ、という結論を引き受けない、なんてことはできそうにないなあ、と考えていたのだった。なので、絶対、絶対、諦めない、と語りかけようと思うし、毎日毎日あらゆる面で、と語りかけようとも思う。そうして人生を変えてみせよう、と思ったのだった。▼ティモシーは間違いなく強い男だろう。なんて考えて思う。自分自身に対して語り続ける強い言葉が彼を強くしたのだろうか。きっとそうだろう。しかし、漠然とだが、それだけじゃないようにも思えるのだ。彼らのような強さはなにから形成されているのだろうか――最近はそのあたりを頻繁に考えてしまうのだった。おそらく参考資料にしたがっているのだろう。