世界は称賛に値する

日記を書きます

これがきっと最後の言葉だ

▼昨夜は午前五時まで後輩になる予定の友人と飲んでいた。勤務が終了したあと比較的暇だったからだ。同時に、向こうは勤務終了後そのまま始発待ちの状態だったからだ。時間潰しに付き合うよ、というような雰囲気だったわけである。正直盛り上がりには欠けたかもしれない、と感じている。申し訳なく思ってもいる。あんまり聞き上手ではないな、と改めて自覚させられた。相手が話すことと自分が話すこと、において、どうも後者に重心をかけてしまうんだよなあ、ということが時おり見えてしまったからだ。できるだけ適切なバランスを保ちたいものだ、と改めて考える。ただ楽しくはあった。▼あなたはなにを考えているのか、ということを尋ねるのが好きだ。ほかの人が考えていること、に、とても興味があるのである。だから、飲み会のような『普段より質問が許される場面』に遭遇すると、どうしてもそのあたりを突っ込みたくなってしまう。話題をそのあたりにうろつかせてしまうのである。おかげで、あんまり難しいこと考えてないんですよ、ということを『考えている』人と会話するのは、ほんの少しだけ苦手だったりもする。話が続かないからだ。▼あなたを幸せにできる、と考えてしまうことは、確かに少しばかり傲慢なのかもしれない、とは思う。けれど、傲慢だということを自覚して、それでもなお、あなたを幸せにしたい、と願うことは、傲慢ではないのだと思う。でも傲慢なんじゃねえの、と思うこともある。もうあなたを幸せにすることはできないけれどあなたが幸せであることを祈るよ、傲慢でもね、と思うことは、傲慢なのかな、と考えていた。傲慢を定義せよだ。