世界は称賛に値する

日記を書きます

不快感を武器にしたトレーニング

 新規店舗の開店まで残りわずかだ。比較的あわただしくなってきた。新人教育も改めて開始された。数名の教育風景を眺めていた。あまり好ましい教育方法ではなかった、と言える。以前の私が排除した方法論で教育が行われてさいたからだ。専任の教育者が行っていたのは、いわゆる『厳しさを背景にした教育法』だった。あえて不快感を与えてしまうことで『次からは不快感を与えられないようにしよう』という行動理念を持つように調整するタイプの教育方法だったのだ。どちらかと言えば『称賛を与えたりする快感を礎にした行動背景』のほうが効率が良いのではないか、と最近の私は考えている。だから、軍隊式とでも言えるようなああいった『厳しさによって相手を従わせるトレーニング』がなぜこうして採用されてしまうのか、ということを少し考えていた。簡単だからかな、と思いつく。思いついて、ああそういうことだったのか、と軽く驚く。快感を礎にした教育方法はバランスを取るのが難しい、と私は考えている。ともすれば『甘いと思われて相手に行動を起こさせることができない』状態になってしまうからだ。ゆえに、高度な想像力や思考力が必要とされる、と言える。つまり、賢明によってバランスを保たなければ活用しきれない、わけだ。不快感を礎にした教育方法にはそれがない。それほどバランスに左右されないから、奮起すればわりと誰でもできるのではないか、と思える。だから採用されているのかな、と考えてみたのだった。威力は高いがバランスが悪くて適格者にしか扱えない武器、と、威力は普通だがバランスが良くて誰でも扱える武器、があるならば、軍隊では当然後者が採用されるよな、と思ったわけだ。効率の総量はおおむね後者のほうが高くなるからだ。組織ならやっぱり利便性重視になってしまうよな、と考えていたのだった。