世界は称賛に値する

日記を書きます

嫌いだと好きではない

 たとえば私は、嫌いだ、と、好きではない、という言葉を『別の感触を与える言葉』として使い分けていると思う。適度に分けることで精神状態の濃淡を表現しているだけ、という気もする。が、嫌いだと言える理由をきちんと自分で把握できているかどうか、て区別しているようにも思える。もし『物凄く嫌いだ』と思っていても『なんとなく嫌だ』くらいのということしか思考できていなければ、嫌いだ、とは言いにくい気がするのだ。生理的に駄目、という判断は却下だ、とか思っているからなんだろうな、と思う。