http://www.1101.com/essay/2000-09-20.html
- 作者: 山田ズーニー
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/01/07
- メディア: 単行本
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P.92
やりたいことっていうのは、自分の内側の、
自分が求める世界観を形にしたいっていう思いでしかない。外側から、社会が与えてくれた一つの職業のワクの中で、
例えば、俳優になってみたところで、
音楽家になってみたところで、
内なるものが満たされるかっていうと、決してそうではない。
例えば、中田がイタリアに行って、
自分の思うサッカーをしたいって言うでしょ。
それはやっぱり、思うような世界観があるんだと思うの、
サッカーの中においてね。
トッププレイヤーになろうが有名になろうが、
それが満たされない限りには、彼は自分の中で
「やった!」っていう想いにはならないんだろうね。
ただサッカー選手になるのじゃなくて、
思うようなサッカーがしたいってことにあるわけだよね。私だって小説書いてて、
人が例えば面白いって言ってくれても、
自分が思う世界に到達してなかったら、
全然、満足感なんて得られないわけよ。
形上、ひとつの起承転結のある話を書いたとしてもね。
そこに私が思いいたすものが、
世界として立ち現れてこないっていうときは、
クズ同然だと思うからね。それと同じようなもので、編集者になろうが、
お医者さんになろうが、それは与えられた記号なのね、
記号の中に盛り込まれている自分の世界が、
ある意味で見えてこない限りは、私は、大それて
「好きなことやってます」なんて言えないんじゃないか、
そういう気がしてしかたがないの。それはもう、自分の中の「絶対価値」みたいなものを
いかに見つけていくか、みたいなことになってくると思う。
それは社会と照らして、自分が赤にそまっているとか
黄色にそまっているとかいうような、
何か社会を標準にして判断するようなものではなくて、
自分のなかでこれでよしとする
絶対的な価値観のようなものを形成していく
プロセスに近いと思うよ。だけども、絶対的な価値観なんていうものは、
常に、常に、常に、揺るぎがあるもので、
そんなものよくわかんないのよ。
だから私は、揺らぎのなかでその時々の、
少なくとも自分の、その場持ってる
知恵と誠意をつくした限りの世界を、
そのつど、そのつど、出していくしかない。
それで100%でなくてもある程度の思いを満たし、
ああこれでどこまでその世界に近づけただろうって
懐疑的になったり自己満足に陥りながら、
自己確認していくしかないっていう、
その繰り返しだから。
だから、何かひとつのことをクリアして、
それで、好きなことに到達したなんてことは思えないしね。