世界は称賛に値する

日記を書きます

効率が良かったとは思わないが、実際のところ役には立っている

 学校で習ったことなど何の役にも立っていない、とはまったく思わない。ただ、確かに効率的な学習方法ではなかったかもしれないな、とは思っている。学校での学習をうまく活用することで効率的に知的能力を鍛えることはできたのだろう、とは考えているが、実際には活用しきれなかったな、と感じているわけだ。あの授業をこういった認識で捉えていれば、価値ある言説として血肉にすることができたんじゃないか、なんて今なら感じたりしてしまうからだ。解釈の仕方によって話の価値というのはまるっきり変わってしまうものなのだ、という話である。積極性が鍵だったのだろう、と思っている。積極的に立ち向かう姿勢があれば、もう少し効率的な解釈ができたんじゃないか、と思えるからだ。