世界は称賛に値する

日記を書きます

朽ちる散る落ちる(森博嗣)

朽ちる散る落ちる (講談社文庫)

朽ちる散る落ちる (講談社文庫)

P.145

 紅子は土木構造については専門ではない。しかし、その理由は容易に想像できた。すなわち、新しくものを構築することに比較して、一度成り立ったものを再建することは、はるかに容易なのだ。それはつまり、ものを作るプロセスのほとんどが、何をどう作るべきなのかを考え、判断する作業に割かれるからである。しかも、その判断には、現状を正確に把握するための調査、測量が必要だ。そういったすべてが、同じものを作るときには省略できる。さらに、今回の場合は、橋の基礎部分が壊れていなかった。仮架橋には基礎工事も不要だったわけである。
 これと同様のことが、人間の思考にもいえるだろう。
 考える筋道が決まっている対象は、答を得ることが容易である。試験に出題される数学の問題がこれに当たる。それらは、約束された道筋の途中で、幾つかの橋が落ちている状態に等しい。かつて一度は通ったことのある道、架かっているのを見たことのある道である。そういった場合の「謎」を解くことは、単に計算時間の多少の差があるだけの問題であって、とにかく、すぐに工事にかかれば良い。
 この種の問題を数多く解くうちに、人は頭の中に数々のラインを構築する。道筋を覚え、多くのマップを描く。
 だが、それでも……、
 もちろん、かつて経験のない謎に出会うことがあるだろう。
 たとえば、紅子のように、研究の最前線に身を置けば、そういったことは日常茶飯事である。
 だから、この種の謎に自分が直面すると、
 その未知の謎、
 先の見えない新しい峠、
 突然現れるマップにはない峰、
 かつて橋が架かったことのない谷、
 そういったものに対峙している自分を、嗅ぎ分けることができるようになる。
 今が、それだ。