世界は称賛に値する

日記を書きます

昔好きだった文章を探して

 記憶は薄れる。だから、たとえ恥ずかしいことをしてしまったとしても、それが関係者の記憶の中のみで保存されるものならば、時間の経過がわりとどうにかしてくれる。けれど、恥ずかしいものが、形として残ってしまうものだったら、そうはいかない。ネットで文章を公開している人は多いけれど、それが、実はそういうものなのだと、きちんと考えている人はどれくらいいるのだろう、と、そんなことを考える。大学生のころにとても好きだったサイトがあって、そこの文章がいつの間にか消えて読めなくなってしまったことをずっと悔しく思っていたのだけど、もしかしたらウェブアーカイブに保存されてるかもしれない、ということに気づいて、今日はちょっと探してみた。で、見つけた。正直嬉しかった、のだけど、執筆者本人はきっと消したつもりになっていて、もう読まれたくないんだ、という気持ちを抱いている可能性だってあるわけだから、こうして探せば読めるんだ、ということに、ちょっとした申し訳なさのようなものも感じないではないのだった。