世界は称賛に値する

日記を書きます

ちょっとしたことに気づいて、ずっと憶えていられる、ということを意識しておくだけで、読解力の段違い桁違いが可能なのでは

▼▼人様のゲーム実況なんかを見ているような時に、わずかな描写、ささやかな演出、こまやかな台詞、些細な登場人物や専門用語、といったものを、ばっちり記憶していて、おお、これ、あのときのあれだ、なんて言えている人を見ると、驚かされる。尊敬を抱いたりもする。物語の理解や分析といったものに対して、一味違う、段違いだ、桁違いだ、とか思ってしまったりもする。
▼▼ほんの少しの出来事を、気づいていたかどうか、憶えていたかどうか、によって、物語の読解に差が出る。差が際立つ。ということがありうるな、と思い直したのだった。一文を憶えているかどうか、だけで、脳内の状況が変わる。読解に際する、腕前や技、やりかたや知識、といったことを問題視してしまっていることもあったのだけど、記憶一つでおおきく変わるんだぞ、ということを、改めて思った。技術を磨こうとかするより、素直に記憶から始めたら?と思った。

植物季節感

▼▼季節を見る時に植物を通して見るのが苦手だ。植物にぜんぜん興味ないじゃん、ということを自覚させられるのが不快ということも言えると思う。春には桜が咲き、夏は葉が多くなり、秋は紅葉して、冬は葉が落ちる、というような典型的な説明を、知識になるくらいには沢山聞いてきて、結果、単純で安直な典型的知識を起点にしつつ語っている場面は、多々ある。のだけれど、まあでも、誰かから聞いた話を、特に実感もないまま、なんとなく加工しちゃってるだけでしょう? といった気分には、やっぱり、させられるのであった。浅はかと手抜きを思わされる。届かないことや伝わらないことに対する後悔のようなものも出やすくなる。ので、まあ、あまり書かないようにしているところがあったりは、する。植物を普段からじっと見つめていられるように──詳細さと繊細さと実感を背景にして起点にできるように、いまさら、軌道修正できたりするもんなのかな、なんてふうに思ったりもした。別に植物じゃなくても、気温でも人間社会でも漫画でも体調でも水でも土でも風でも細菌でも旬の食べ物でも催事でも、好きに見て、そこから季節を見ればいいんじゃないの、と思い直したところもある。

ロジック仕立て

▼▼最適な言葉を探す(結果的に最適かどうかは置いておいても、とりあえず探すだけは探す)、っていうのと、思っていることや感じていることからの距離を調整する(というか、多少は離れたところに落ち着きそうでも、あまり気にしないようにする)、っていうのを、組み合わせて、論理的整合性を調整してみせる──筋が通っている話として仕立て上げてみせる、といった、ロジックの仕立て直しのような作業が、気持ちよすぎて、困るなあ、と思った。ほんのわずか、困っている場面がありそう、と思った。嘘っぽい形状に仕立てつつ論理を通していっていても、あんまり気にならないの、少し怖いところがあるぞ、という印象であった。

ボードゲームアリーナで遊びました(一昨日)

▼▼一昨日の深夜に「ボードゲームアリーナ」で遊んだ。のを、書き忘れていたので、改めてというか遅ればせながら記録しておく。前述した「ボードゲームアリーナ」はオンラインでボードゲームを遊ぶことができるサイトだ。沢山のゲームを遊ぶことができて、かなり遊ばせてもらっている。好きなサイトである。少し前に遊んだ時には『K2』というゲームを開拓した──ルールを把握して、遊べるようにした。難峰といわれる高山「K2」の登頂を目指すゲームである。おのおののプレイヤーが登山家コマを二つ(ふたりの登山家を持つ)を使い、悪天候と寒さによるダメージと移動しやすさを組み合わせながら、山頂に辿り着くまでのルートを、切り拓いていく。手札から三枚選ぶだけ、と、やることは簡単なのに、天候とルート選択の難易度のバランス調整が悩ましくて、しかも、山登りの難しさと面白さを想像できる、という、非常によいゲームだった。今後ボードゲームアリーナで遊ぶ時は定番化しそうである。初めて遊ぶくらいでも薦めやすい。


ja.boardgamearena.com

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▼▼待ち時間があったので、まずは二人でPlayStation4の『デッドバイデイライト』を遊び、ひとり増えたところでボードゲームアリーナに移行、『K2』を遊んで、最後にもうひとり増えて、四人で『お邪魔者』というカードゲームをやった。皆で金塊までの洞窟を掘っていくゲーム、なのだけど、お邪魔者、という敵が紛れていたりいなかったりする。実のところ四人プレイはあんまり推奨されていない。一人でお邪魔者役をやらされることが多くなって、邪魔が難しすぎるからだ。一人では邪魔しきれない、のだ。ほか三人が結託したらもう無理。邪魔するのを邪魔されて、何もできずに終わりがち。とか言いつつ、気の置けないメンツでワイワイやるだけならちょうどよかった気もしている。勝負のバランスとかが主軸じゃない雑談混じりのゲーム、という空間もやはりあるなあ、ということを思い直した。最近はボードゲームが面白すぎるあまり、勝敗において極めてバランスがよいことの面白さ、ばかり、見るようになっていた気はする。

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ボードゲームカフェで遊んできました

夜コロ 第114回

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▼▼最近は木曜日にボードゲームカフェで遊ぶことが増えている。と言いつつ、ここのところは忙しさのせいで行けていなくて、数回ほど参加できない残念無念が続いていた。若干落ち着いたのでやっと遊べた。今回は『U.S.テレグラフ』→『ミントデリバリー』→『キューバード』→『アブルクセン』という順番で遊んだ。本日の最優秀作品は『キューバード』かなあ。『U.S.テレグラフ』と少し迷うところ。とか言いつつ、『アブルクセン』やはり名作……!とか思ってしまっているところあるけれど……。まあ本日の最優秀作品は初対面のゲームにあげたくなるところがある、のであった。




U.S.テレグラフ(初プレイ/4人)

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▼▼30枚の建物タイルを、ぜんぶ置ききるか、都市と都市が繋がるように配置できれば、勝利。特定の建物と建物はノーコストで繋げて置けるので、その連鎖を駆使していく雰囲気。邪魔しきれなくて負けた。邪魔が難しいな。
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最大【10】点中、いまのところ【5~8】点の印象があって、本日の評価は【7】点
bodoge.hoobby.net






ミントデリバリー(初プレイ/4人)

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▼▼9枚のカードでマップを作り、マップ上にトラックを走らせ、ミントを補充、アップデート、配達、といった流れを繰り返す。注文カードとミントの補充、アップデート、の効率化が大切。綺麗なピックアンドデリバリー。こういう効率化は不得手なのかもとも思わされた。ミント可愛い。
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最大【10】点中、いまのところ【4~8】点の印象があって、本日の評価は【6】点






キューバード(初プレイ/4人)

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▼▼緩いと見せかけてがっちり考えどころある雰囲気。駆け引きも重要。鳥カードを8種揃えるか、3枚セット2種揃えるかすれば勝利。同種のカードをぜんぶ場に出して、挟んだカードを取れる。場のカードの挙動を読んでカードが集まっていくゲームは好きだ。変テコな動きなのに調整がすごいと更に感心する。
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最大【10】点中、いまのところ【4~9】点の印象があって、本日の評価は【7】点
bodoge.hoobby.net






アブルクセン(複数回プレイ済/3人)

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▼▼カードのやりとりで「なんでこんな動きするんだ」と驚かされた最初のゲームな気がする。同じ枚数のセットを出すと攻撃が発生して、棄てさせたり棄てさせられたりカードを奪ったりできる。という動きが、ほんとうに、どうやって思いついたんだ、という印象である。非常に好きなゲームだ。
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最大【10】点中、いまのところ【5~8】点の印象があって、本日の評価は【7】点
bodoge.hoobby.net




▼▼現状の基準(boardgamegeekの基準を参考)。
[10]秀逸。常にプレイ。その意思が変わることは絶対にないだろう。
[9]素晴らしい。常にプレイしたい。
[8]とても良いゲーム。進んでプレイしたい。他の人にも薦める。
[7]良いゲーム。大抵プレイしたい思うゲーム。
[6]平均的なゲーム。楽しく、遊びがいが有る。プレイするだろう。
[5]平均的なゲーム。プレイしてもしなくても、どちらでもという程度。
[4]あまり良くないゲーム。付き合いで遊ぶ可能性はある。
[3]悪いゲーム。遊ぶことは無いが、 説得されれば遊んでも良い。
[2]非常に悪いゲーム。絶対にプレイしたくない。
[1]ゲームとしての定義を外れている。ゲームとして壊れている。

景色が変わる(年齢基準)というの想像できていなかった

▼▼若いと思っていた人がいつの間にか若者ではなくなっている、といった状況に対しての理解、昔はぜんぜん持てていなかったなー、って気づいた。想像できていなかった頃の印象と想像できている今の印象がまるで違うぞ、って気づいた。実際の経験はなかったものの昔からなんとなく想像できてはいたよ──いたはずだよ、って言えるところと言えないところがあるかと思うのだけど、言えないところの筆頭、という印象だ。▼▼こんなふうに「相手の若さ」のことを、頭の中に収め、しかもぜんぜん更新することなく──常に更新していないと想像の埒外で加齢していってしまうであろうことを忘れ、でもって不意に、あ、そうか、あのひと、もうすっかり歳を重ねたのだ、認識していた年頃とはもう違うのだ、って驚いたりするのだなー、といったことが判ったのだった。驚くけれど、驚くこと自体には驚かなくなった。自動で更新されないなんて!といった驚きは消え、ああもう更新また忘れてるじゃん!と驚くようになった。
▼▼じぶんが歳を重ねていった時に、まわりがこんなふうに歳を重ねた人ばっかりになるんだな、っていう情景が拡がるんだな、というの、まるで想像できていなかった、という言いかたが適切かもだ。