世界は称賛に値する

日記を書きます

植物季節感

▼▼季節を見る時に植物を通して見るのが苦手だ。植物にぜんぜん興味ないじゃん、ということを自覚させられるのが不快ということも言えると思う。春には桜が咲き、夏は葉が多くなり、秋は紅葉して、冬は葉が落ちる、というような典型的な説明を、知識になるくらいには沢山聞いてきて、結果、単純で安直な典型的知識を起点にしつつ語っている場面は、多々ある。のだけれど、まあでも、誰かから聞いた話を、特に実感もないまま、なんとなく加工しちゃってるだけでしょう? といった気分には、やっぱり、させられるのであった。浅はかと手抜きを思わされる。届かないことや伝わらないことに対する後悔のようなものも出やすくなる。ので、まあ、あまり書かないようにしているところがあったりは、する。植物を普段からじっと見つめていられるように──詳細さと繊細さと実感を背景にして起点にできるように、いまさら、軌道修正できたりするもんなのかな、なんてふうに思ったりもした。別に植物じゃなくても、気温でも人間社会でも漫画でも体調でも水でも土でも風でも細菌でも旬の食べ物でも催事でも、好きに見て、そこから季節を見ればいいんじゃないの、と思い直したところもある。