世界は称賛に値する

日記を書きます

線引き、線、の位置がずれてゆく

▼▼構成要素エックスが【1】の時は「★★」と呼ぶよう名付けられており、構成要素エックスが【2】の時は「●●」と呼ぶように名付けられている、ような状況で、そして実際にそれらの言葉がそのように運用されていたのだとしても、いずれ、「★★」と呼べる時は構成要素ワイがたいてい【9】だなー、とか、「●●」って呼べる状況だと構成要素ゼットがおおむね【8】だなー、という想定外の共通要素が見出されていって──理解されていって──馴染んでいってしまって、「★★」ならばワイ4である、とか、「●●」ならゼット8だ、とかいうことを、意味してしまい始める──意味してしまい始めることがある。
▼▼といった情景のことを、脳内で改めて整理していた。なんで言葉ってこんなにも混線してんのさ? ということに苛立ったりした時に役立てる理解(心を落ち着けさせるための認識)だ、と言える。
▼▼最初に「ここに線を引きたいぞ」と思われていたところとは異なるところで──想定していなかったところで、重心の偏りなどが目立つようになっていってしまって、結局なんだかんだで、新たに見出された重心の違いもまた、その言葉の使い分けによって、表されるようになってしまう──表せてしまうようになってしまう、という事態のことだ。

適応不可能な切り替わりの瞬間、に立たされているんなら嫌だなー

▼▼最近はだいぶヴァーチャルリアリティー技術が世に侵食してきている雰囲気だ。派手な流れが見え隠れしている。ほぼ確定的に酔ってしまうところが現状では難関、と言えるのだけど、この難関は、突破可能なんだろうか、と不安に思っていたりもする。鍛錬と馴染みによって払拭や適応が可能なんだろうか、と考えてしまう。こどもの頃から慣れ親しんでいないと無理である、というような要素も人間の躰の中にはあるようなので、こういう種類のものだったら怖いなー、と思ってしまっているのだった。
▼▼世代が移り変わってこどもの頃から慣れ親しんでいる人達が多数になってこないと馴染まない、というような技術が出てきた瞬間が、今、というような「過渡期/転換期」に立たされているとするなら、嫌なものである、って思った。▼▼訓練も鍛錬もしたいとは思っている。遊べないの嫌だ。楽しそうなのは羨ましい。

池袋の「ボードゲームカフェラウンジROSA」でボードゲームをしてきました(昨日)

ボードゲームカフェラウンジROSA 2018/04/29

▼▼池袋のロサ会館の最上階にボードゲームカフェがある。昨日の日曜日に、近くを通りかかったので、寄ってみた。初めて行くボードゲームカフェだ。百種類以上楽しめます、と謳われているボードゲームの数は、多い、と言えるほどではないものの(まあ、より多数のボードゲームが楽しめるボードゲームカフェもあったりするので)、なかなか楽しそうなセレクトが為されているな、と思わされるところはあった。定番ばかり、でもなく、一回遊んでみたかった、と言いたくなるゲームが多かったのだ。場の空気もよかった。お店の方におすすめを聞きながら和やかに遊んだ。また行くと思う。『ナンバーナイン』→『ゴブレット・ゴブラーズ』→『バイソン将棋』→『イスタンブール・ダイスーム』という順番で遊んだ。『クランズオブカレドニア』がずっと目の端に入っていて、今度はこれ遊びたいぞ、って思っていた。

ナンバーナイン(初プレイ/3人)

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▼▼各数字がランダムで二回ずつやってくるので、数字タイルを重ねて得点を稼ぐ。全員で同じことをする、っていうルールの中で、それぞれ二回ずつ使う、という線引きは珍しい気がする。
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最大【10】点中、いまのところ【5~8】点の印象があって、本日の評価は【7】点






ひっつきカメレオン(初プレイ/6人)

ひっつきカメレオン 日本語版

ひっつきカメレオン 日本語版

▼▼お題に合わせカメレオン舌でくっつけてタイルを取る。お邪魔タイルがあるの素晴らしいと思った。
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最大【10】点中、いまのところ【4~7】点の印象があって、本日の評価は【5】点






ゴブレット・ゴブラーズ(初プレイ/2人)

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▼▼上書きできる三目並べ。好きな雰囲気。わりとすっきり勝てたおかげか大変楽しい記憶だ。ボロ負けしてから印象を比較しないと駄目かも。
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最大【10】点中、いまのところ【4~8】点の印象があって、本日の評価は【7】点






バイソン将棋(初プレイ/2人)

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▼▼直線のみ大量コマ側と、縦横無尽の少数コマ側、に分かれて戦う。奥深いところでバランス整ってそうな気配もあり、スキキライがそこで分かれそう(現状は不明瞭)。
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最大【10】点中、いまのところ【3~9】点の印象があって、本日の評価は【6】点






イスタンブール・ダイスゲーム(初プレイ/2人)

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▼▼『イスタンブール』をダイスゲーム化し遊びやすくした。フレーバーは同じだけどメカニクスはおおきく変わっている。とはいえ問題なく面白かった。
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最大【10】点中、いまのところ【5~9】点の印象があって、本日の評価は【7】点





【評価基準】(参考:ボードゲームギーク)

[10]秀逸。常にプレイ。その意思が変わることは絶対にないだろう。
[9]素晴らしい。常にプレイしたい。
[8]とても良いゲーム。進んでプレイしたい。他の人にも薦める。
[7]良いゲーム。大抵プレイしたい思うゲーム。
[6]平均的なゲーム。楽しく、遊びがいが有る。プレイするだろう。
[5]平均的なゲーム。プレイしてもしなくても、どちらでもという程度。
[4]あまり良くないゲーム。付き合いで遊ぶ可能性はある。
[3]悪いゲーム。遊ぶことは無いが、 説得されれば遊んでも良い。
[2]非常に悪いゲーム。絶対にプレイしたくない。
[1]ゲームとしての定義を外れている。ゲームとして壊れている。

rosadeboardgame.com

悪い芝居vol.20『ラスト・ナイト・エンド・ファースト・モーニング』を観てきました

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▼▼東京芸術劇場で、悪い芝居vol.20『ラスト・ナイト・エンド・ファースト・モーニング』を観劇してきた。思い出、記憶。思い出せることと思い出せないこと。記憶と環境と人格。この題材の時にこの台詞回しをするのは好きだ、という「好きになりかた」は、かなり濃い好感だな、という自覚がある。大変好きな台詞回しであった。ということを毎回思わされている気がするので、脚本家の言葉使いが根っこから好きなんじゃないか、と推測はしている。悪い芝居の舞台はvol.16『スーパーふぃクション』から観るようになっていて、最初に観た『スーパーふぃクション』が非常にツボに嵌まる空気だったので、じぶんとして最も好きなのは『スーパーふぃクション』なのでは、って印象がずっと余韻のようにあったのだけど、今回、どどどと覆されたような気もしている。別に比較してなくてよいじゃん、っていうのも思わなくはないが、まあ、なんか、一新してくるような、刷新してくるような、好きさがあったのだった。書き換えの匂いがあった。

悪い芝居 Official Site

悪い芝居vol.20 『ラスト・ナイト・エンド・ファースト・モーニング』

映画『レディ・プレイヤー1』を観てきました

www.youtube.com

▼▼映画『レディ・プレイヤー1』を観てきた。アーネスト・クラインのサイエンスフィクション小説『ゲームウォーズ』の実写化、映画化だ。世界が荒廃したのちの、電子世界、人工現実、が物語の舞台になっている。電子世界の中で振る舞うためのアバター(姿形)として、実際にある様々なゲームやアニメや映画のキャラクターが登場しているのが、話題だ。視聴後に知った隠しネタも多く、あまり気づくことができなかったな、という印象もある。けど、問題なく楽しめた。画面の迫力には圧倒された。3D版で観たのはよかったと思う。4DXでも観たかった気はする。いずれにせよ、かなり面白かった。
▼▼ごちゃ混ぜパロディは素敵である。オールスターは楽しいし、クロスオーバーも楽しいし、スピンオフも楽しい。スーパーロボット大戦やライダー大戦なんかの大戦物も現に人気である。というような流れは、人類に通底するやつなのだろうか、とは考えてみることがある。神話や古典なんかからも同様の流れが読み取れることあるからだ。
▼▼ぼくの好きな作品群、によって構成された──各位の趣味と経験に噛み合わせた『レディ・プレイヤー1/ゲームウォーズ』が、出来たらよいのに、なんてふうに思う瞬間もあった。呪文を詠唱するシーンで『スレイヤーズ』を想起したりもした(呪文詠唱が有名なイメージなのである)。じぶんにとってより昂奮するであろうネタ選びのやりかたが当然あるな、って思ったのだった。妄想がはかどった。とはいえまあ、比較的多数派な妄想だとも思う。妄想として異質、少数派、というほどではないと思う。二次創作としていくらか見かける機会のある妄想ではないかと想像している。かつて『バトルロワイヤル』的な「オールスター作品」も沢山見かけたし。


▼▼エンターテインメントだな、エンターテインメントとしてスゴイ、といった評価を下していることがあって、楽しさを受け取ってくれるであろう人類の範囲を拡げようとしている時に──拡大してやろう拡張してやろうという意志と意識が解釈できる時に、思っている気がする。万人受けを目指すぜ、という切り口に対しての、敬愛、賛美、って言えるところはある。が、万人受けを目指すにあたって削減せざるを得なかった「狭い範囲で有効な理屈」や「限られた空間内で練られた教訓」、というものに対しての、わずかな残念さや無念さも、まあ、混じっている気はする。▼▼楽しさの最大化、と、楽しさを阻害しうるものの最小化、に対しての、歓声と寂しさの混ぜ合わせ、を、物差しにしているんじゃないかなー、って思ったのだった。


▼▼慣れ親しんだ同じ挙動は躰をこわばらせていくものだ、と認識している。柔軟体操によって躰をほぐさないと駄目、とも思いがちである。こわばること、固くなること、かたよることを、否としている。この世での活動時間が長くなってゆくほど思う機会も増えているかと思う。逆に、慣れない動きが躰をほぐしてくれるじゃん、という認識も最近は保持中だ。▼▼というような「躰の硬直化」に対し、物理や生理さえもくつがえしうる電脳世界や人工現実といったものが、どれだけ有効だったりするんだろう、とは、少し考えてみることがあったりもする。柔軟体操的に使えたりするんだろうか、とは思う。期待したくなる。異世界が見せてくれる新鮮味が世界に対する硬直化をやわらかくしてくれるなら楽しそうだからだ。▼▼というようなストレッチ効果をあたえてくれるものとして、芸術、美、といった概念を見つめていることも、あるなー、とも思った。

ゲームウォーズ(上) (SB文庫)

ゲームウォーズ(上) (SB文庫)

ゲームウォーズ(下) (SB文庫)

ゲームウォーズ(下) (SB文庫)

日記属性風属性

▼▼程よく暖かい風というか、温い風(ヌルイ風/ヌクイ風)を浴びながら、おおー、気持ちよいー、日記に書いておきたいー、なんて思っていることは多く、例にもれず今日も思っていたわけだけど、自然の中のどこに目が向きがちか、っていうことが、日記書きとしての特性を決めているんじゃないか、って気はしているので、まあ、日記特性としては風属性と言えるかなー、って思った(異能の区分として扱われることの多い、火属性、水属性、地属性、風属性、という切り口は、慣れ親しんできて見慣れているものではありつつも、まだまだ胸が躍るところがあるのだった)