世界は称賛に値する

日記を書きます

グースカパースカ、ハッタリ忍者、SET、テラフォーミングマーズ、で遊んだ(淡藤色ボードゲーム会)

淡藤色ボードゲーム会

▼▼ボードゲームで遊んできた。淡藤色ボードゲーム会と勝手に命名している空間だ。淡藤会だと参加者はおおむね四人である。今回も馴染みの四人が集まった。四人全員が最近買えた、という状況もあって、なら今回は「Nintendo Switch」を持ち寄ってみましょうか、といった話も出たりした。以前より彩り豊かな会になったんじゃないかと思う。
▼▼「Nintendo Switch」では『Splatoon2』と『いっしょにチョキッとスニッパーズ』を遊んだ。でもって、『いっしょにチョキッとスニッパーズ』の出来栄えに、改めて感嘆させられることとなった。四人プレイの難度が程よくてものすごく素敵だった。


▼▼ボードゲームは、『グースカパースカ』→『ハッタリ忍者』→『SET』→『テラフォーミングマーズ』、という順番で遊んだ。『ハッタリ忍者』と『テラフォーミングマーズ』が初プレイだった。
▼▼前日の就寝間際に、突然、品切れの続いている『テラフォーミングマーズ』、せっかく買えたのに、ぜんぜん遊んでないじゃん! 遊ばねば! と思い立ち、焦燥に駆られ始めたため(参加者の一人が前に、遊んでみようよー、と言っていたのを不意に思い出したのもあって)、持参してみた次第、であった。直前で予定を変えたので、準備がほとんど出来てなくて、遊びに向かう最中に説明書を読み、目的地周辺にあるコンビニに寄ってサマリー(要約)を印刷した。iPhoneだけでWEBにあるPDFを如何にして印刷してみせるか、っていう問題に苦心した(アプリを使うことによりセブンイレブンで可能)。


▼▼ここのところ足踏み状態が続いている『パンデミックレガシー シーズン1』も、今回、多少は進めておきたかったのだけど、結局は時間が足りなかった。『テラフォーミングマーズ』に時間を獲られすぎた。が、長さや重さに見合う面白さではあったと思う。即刻遊びたいぞ!って気分にはなっている。






グースカパースカ(プレイ二回目)

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▼▼二人対戦型。互いにカードを一枚裏向きに出して、じゃんけん的に勝負する。勝ったほうは、互いのカードに書かれているコイン数ぶんのコインが貰える。負けたほうは、互いが出したカードを貰える(手札に加えられる)。勝てば勝つほど手札が減り、負ければ負けるほど手札が増える。カードの内訳が決まっているので、敗北が重なるほど、相手の手札が予測できるようにもなってくる。というジレンマの中で、勝敗を決めるのだ。最終的にコインを沢山持っていたほうが勝ちであり、じゃんけんでの勝敗は必ずしも決め手ではない、というところが素敵だった。すぐ出来てすぐ終わるところも大変よい。
──最大得点10点中、幅としては6~7の雰囲気。現状の重心は7あたり。






ハッタリ忍者(初プレイ)

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▼▼二人対戦型。忍者同士の対戦を模している。互いにカードを裏向きに出して攻撃し合い、ダメージを与えて、相手のHPを削りきったら勝ちだ。ブラフゲームだ。出したカードの内容については嘘をついてもよい。ハッタリができる。強烈な効果を発揮するカードを嘘をつきつつ出してもよいし、無論、奥義破り!ということで、相手の嘘を曝くことも可能である。曝かれたら当然罰則を受ける。罰則が3つ重なっても負けだ。ハッタリを曝くための情報は、カードの総数と効果の強靱さと脆弱さにあるので(この効果なら嘘だとしても通してもよいか……、こんな効果は嘘でも真実でも奥義破りしないと……、と思わせるだけの調整)、ここのバランス調整がうまく出来ている雰囲気ではあった。勝ち負けだけで言うとあんまり得意じゃないところもあるのだけど、ブラフゲーって、勝つと異様に気持ちよいのだよなー。ここに溺れがちだ。
──最大得点10点中、幅としては5~8の雰囲気。現状の重心は7あたり。






SET(プレイ二回目)

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▼▼三人と四人で遊んだ。形、色、塗り、数、の四要素(要素ごとに三種類)を持つカードを場に並べて、その中から、ぜんぶの要素が異なる/要素ひとつだけが異なる/要素ひとつだけが共通する、三枚、を、見つけ出して、獲得する、というゲームだ。四要素を脳内で比較しながら、三つは同じで一つは異なる……、とか考えてゆくの、実際のところ滅茶苦茶難しい。ぜんぜん対応できないプレイヤーも今回一人いて、たぶんもう遊んでくれないだろう、と思えるほどの意味不明感とトラウマ感を出していた。ただ、見つけ出せる人が見つけ出した時の快楽、は、かなりのものだと思う。じぶんは好きだ。慣れも絶対あるから、いちおう「意味がわかる」「まあなんとなく見える」というところまで最初に説明しておかねば駄目かな、と反省もした。
──最大得点10点中、幅としては4~9の雰囲気。現状の重心は8あたり。






テラフォーミングマーズ(初プレイ)

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▼▼火星開発を目指す企業をおのおのが担当し、企業ごとの強みを使いつつ(今回は初心者用企業を使ったので特殊効果無しだったけれど)開発を進めていく。開発は基本的にカードの効果を使って行なう。カードゲーム要素の強いボードゲームと言える。特殊効果ゲームとも言える。カードは非常に沢山あって、同じ効果のカードもなく、カードを見ているだけで胸が躍るところもあった。火星開発というフレーバー、カードの名称と効果、少しずつ開発されていく様が、大変素敵で、このあたりが人気を後押ししているところはあるんだろうな、って思った。雰囲気がよい。気温が上がり、海が出来て、植物が少しずつ殖えたり、生物がようやく姿を見せ始めたりして、ほんとうにわくわくできる。面白かったなー。
──最大得点10点中、幅としては5~9の雰囲気。現状の重心は8あたり。







グースカパースカ (Gooska paaska) カードゲーム

グースカパースカ (Gooska paaska) カードゲーム

ハッタリ忍者

ハッタリ忍者

SET セットカードゲーム 日本語版

SET セットカードゲーム 日本語版

テラフォーミング・マーズ 完全日本語版

テラフォーミング・マーズ 完全日本語版

一石二鳥とwin-winの互い性

▼▼一石二鳥の場面をwin-winだと誤認しそうになることが多めだ、って気づいて、少し違うはず、と、改めて認識の更新を図った。
▼▼「win-win」という概念には、『そちら』と『こちら』にメリットがある、という「互い性」が混ぜこまれているはずだけれど、「一石二鳥」という概念は、特に「互い性」を混ぜこまなくても(混ぜこんでも)成立する。▼▼『こちら』側だけで「二鳥」を獲得できているのであれば、「一石二鳥」は言える。一人の話でも言えるのだ。なので、相手の事情は構成要素として取り込まなくてもよいし、構成要素として取り込んだうえで、相手の損によって「鳥」を獲得していたってよい。

【一石二鳥】
・一つの事をして二つの利益を得ること。一挙両得。
──一石二鳥とは - 短編小説作品名 Weblio辞書

【win-win】
・交渉などで,双方にとって好都合なこと。
──ウィンウィンとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

仮説貿易

▼▼仮説が多くを占める世の中で、簡単に断言できてしまう精神、あえて断言してみせる技術、といったものに思いを馳せてみる(フォーカスを当ててみる)ことが多かったりもしたのだけど、仮説のやりとり、仮説の取引、仮説の交換、仮説の貿易、人様と人様とのあいだで仮説が行き交うこと、あるいは、実際に行き交っていること、といった情景や状況について解釈してみようとするのも、好きな気がする、と、改めて少し思ったりした。
(人様の話を聞き、じぶんの話をする、といった事柄を、仮説の行き来、という形式で見做すことは可能そうであり、この、社会の仕組みとしての、仮説交換、といった構造や機構、解釈のしかたを、おもしろがることもできそう、って思ったのだった)
(ちょっと不安定で、ちょっと空疎な、でもまあ、解釈や認識というものである時点でなんとなく重要性の強さが薫るところもやっぱりある、ようなものを、世のあいだでやりとりしているのって、ほんのり気持ちよさそう、かつ、なかなか面白そうであり、あまり軽んじられるものでもないのかな、って思ったのだった)。

狭義に向かうのは素敵

▼▼コンピュータにおける「ソフト(software)」という呼びかたが「アプリ(application software)」という呼びかたに移行させられた雰囲気があるな、ということを思ったのだけど、厳密に言うなら、ソフトウェアはアプリケーションソフトウェアの上位にある概念であって──アプリケーションソフトウェアというものは「ソフトウェア」という集合の中にあるものであって、アプリつまりアプリケーションソフトウェアという単語の普及は、つまり、より狭い範囲を意味する単語に置き換えられた、ということなので、狭義の言葉の普及はよいことなんじゃないか、と思ったりもした。
▼▼常識的な言葉使いが「狭義のほう」に向かって変わってゆくことは、よいことだ、と思ってしまう──思えてしまう、思える、精神構造および世界観を、じぶんは持っているのだな、ということも合わせて思った。
▼▼なら、日常的に使われているような、言葉、言葉使い、を、すべて、より狭義側に寄せてゆきたいと思っているのか? 常日頃から狭くしたいと思っている? と問われたりしたら、困る気もする。▼▼用いる言葉の意味が狭まれば狭まるほど、緻密な思考が可能になりそうでは、ある、のだけれど、緻密になって繊細になりすぎて、意味や概念の調整や配置が難しくなりそうだし、結果、処理も重くなりそうだし、制御時に脳が受ける負担がおおきくなりぎて困ることになりそう、な気もしたのだった。

肯定的意見でも、「なぜ」と聞かれるなら、説明が欲される

▼▼否定的意見、不満、批難、悪口、あるいは悪意、については、理由や根拠を説明する必要がある気がする……、と思ってしまいがちだなー(褒める時であれば、「理由や根拠は別に『必ずしも』書かなくてよい」と(じぶんにも人様にも)思えるだけの感覚があるのに、逆に、悪く言う時や否定的な言葉を向けられた時には、「理由や根拠を書かなくてはならない」「理由や根拠を判るように書いてくれ」とか、思いがちで、思えがちで、口にすることまで行動を延長しがち、だな)、というようなことを考えていたのだけど、試行錯誤を重ねてゆくうちに、理由や根拠を欲してしまうこと──書いたり言ったりしたほうがよいと思えてしまうこと、の決め手、は「否定的な言葉であるかどうか」にあるのではなく、単に、「相手が『なぜ?』と思うようなことを言ったり書いたりしたなら、『なぜ?と聞かれる可能性』が、あるよ」「なぜ、と尋ねられやすい言葉がやはりあり、あるのだから、言う時に、その可能性に思い至れるなら、認識しておけばよいじゃん」、というような構造や機構の周りにあるのかな、なんて思えてきたりした。
▼▼意図や意志、理屈を書いたほうがよいか、説明を書いたほうがよいか、を、といった事柄を区別し、決定づける条件は、言葉の意味側にあるのではなく、聞く人側に寄ったところにある(言葉の配達先の状態が影響してくる)ので、言葉の性質──肯定寄りか否定寄りかの空気、ばかり気にしていても駄目なのだな、と、改めて思ったのであった。

サブジャンル名が好きだ

▼▼サブジャンル名が好きだ。特に物語のサブジャンル名にはわくわくさせられるな、と思った。おおまかな区分をより細かく区分けしようとしている意志と挙動、にわくわくさせられるから、というのもあるかと思ったのだけど、サブジャンル名を見かけると妙に妄想が駆動させられるから、というようなところもありそうだ、って思えた。下位の「サブジャンルの名称」から喚起され創出される妄想は、上位の「ジャンル名」から喚起され創出される妄想より、愉快である、と思えるような経験則があったのだった。具体的だからかな、と思ったりもした。サブジャンル名は、単なるジャンル名と比較すると、境界線がはっきりくっきりしていて、細部もしっかりしており、具体的、実際的、現実的だ。具体と実際と現実の側に近づいてゆく。ということもあって、具体や実際や現実の匂いが濃いめの概念に接した時のほうが、妄想が加速されるところがあったりするんじゃないか、なんて思えたのであった。
▼▼ジャンル名──第一段階の整理と区分、では、まだ、ぼんやりふんわりしすぎていて曖昧で情報が薄い。でも、せめて多少の抽象化は為されていないと、妄想してみせるための隙間もない。というような状況があって、サブジャンル名というものが程よい輝きを見せてくれていたりするんだろう、とも思ったりした。


▼▼とはいえ、基本や基礎となる「ジャンル」のための「区分けの線」(整理の『第一段階』で引かれる線)が、如何なる高さのところに位置しているか、というのは、あくまで任意というか、恣意というか、状況や幸運にも因るところがあって、ある線を指して「この線引きがサブジャンルという『線』であり、ここが好きである」って言ってしまおうとするのは、実は無謀?(ツッコミどころが残りがちなんじゃないの?) というようなことも合わせて思ったりした。サブジャンル名が好き、と、ツッコミ受けないよう発語してみせるの、事前準備的にはなかなか手間なんでない? なんて思えたりした。
▼▼道徳の「納得できそうな位置」が、人類全体でまあまあ運よく一致している、のと同じように、ジャンル分けに関する脳の働きについても、人類まあまあ似たようなもの、というような説話なんかが、ありそうではある、かな。