世界は称賛に値する

日記を書きます

さんざっぱら遊んだボードゲームがまたやりたくなっている

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▼▼三日前にさんざっぱら(耳記憶で「さんざんっぱら」って書こうとして、よくある間違いである、と、今回、認識が更新された)ボードゲームで遊んで、満腹感を超えて、食傷感、すら覚えていたのに、もうまた、遊びたくなっている、と気づいて、ちょっと、いやわりと、驚いた。前回遊んだ『スモールワールド』がツボに嵌まりすぎたせいかな、とは思った。余韻が再戦を望んでいる。
▼▼以前にも、少し、ボードゲーム飽きた感が出たことがあったのだけど、その時は、回復まで、もう少し時間がかかった気がする、のだ。驚きはそこと比較してるから出てきたんだろう。▼▼自らの周囲に「ボードゲームってほんと楽しい……!」と、全身で叫んでいる言葉を配置しまくったせいか……、とも思った。主にインターネット上で出会う言葉群に「ボードゲーム愛」を増やしまくった自覚はある。

句点まで好き

▼▼引用はてなスター。好きだと思った言葉を星の中に残せる。文字列を反転させながらスターを付与することで記録が残る。スターをマウスオーバーすることで表示させることができる。
▼▼ある一つの「文章」が好きで、引用スターを残そうと思った場合、最後の句点まで含めるか含めないか、という、言語観や言語感覚の違い、ありそうだなー、って思った。あなたの言葉が好きだ、と感じた時に、最後の句点まで、好きかどうか。


▼▼あなたの読点が好きかどうか、っていうほうについては、けっこうよく思っている気がする、とも思った。

読書感想文という名の遊び

▼▼読書感想文にまつわる悲喜交々を見かけた気がする。小学校の頃の読書鑑賞文は、比較的好きなほうだった。ワクワクしていた記憶がある。この時間は自習だよとか、体育の授業でドッジボールができるよとか、そういうノリとほとんど同じだった(ドッジボールは妙に好きであった。ほぼ逃げ回るだけだったけど、逃げ回ることに、謎の自信があったせいだ)。でもこれ、突き詰めると、こういう時に、真面目に自習したり、真面目にドッジボール(?)したり、というのがなかっただけだなあ……、とは思った。まあまあ巫山戯ていたし、ほとんど遊び心で望んでいた。
▼▼この、なんだかんだで遊んでしまう、という習性、真面目に学んで、集中的に実行し、何事かを成してみせる、という面では、悪癖として出続けてきた気もするし、いろいろなところに遊びどころを見つけ出すことで人生などを楽しめる、という面では、わりと美点として働き続けてきてくれた気もする。

秋葉原イエローサブマリンで『インサイダー・ゲーム』『タイムボム』『ディクシット・オデッセイ』『スモールワールド』『犯人は踊る 第三版』『ラブレター』『コードネーム』『街コロ』

▼▼秋葉原のイエローサブマリンのゲームスペースで、今日は遊んできた。参加者はじぶんを含めて五名。初めて事前に予約を行なった。対面予約の場合は前金1000円が必要になるものの開始時間が自由になり、電話予約の場合だと前金は不要だけど開店後30分以内に開始しないとキャンセル扱いになる、という違いがあって、今回は電話で予約したので、十一時集合になった。
▼▼遊んだゲームは8つ。『インサイダー・ゲーム』『タイムボム』『ディクシット・オデッセイ』『スモールワールド』『犯人は踊る 第三版』『ラブレター』『コードネーム』『街コロ』の順番で遊んだ。▼▼『インサイダー・ゲーム』『スモールワールド』『コードネーム』『街コロ』が初見だった。


『インサイダー・ゲーム』

インサイダー・ゲーム

インサイダー・ゲーム

 ランダムで決定されるお題を、マスター、インサイダー、二つの役職の人間だけが、確認する。知っておく。マスターはじぶんがマスターであることを公表して進行役を務めるのだけど、インサイダーは、その他大勢の中に潜伏しておく。身を隠す。その後に、ゲーム開始だ。ゲームは二つのフェーズに分かれる。マスターにイエスノーで質問を行ない、お題を当てるフェーズと、お題を当てたあと、質問者の中の誰が「答えを知っているインサイダー」だったかを当てるフェーズである。最近発売されたゲームで、ルールを聞いた瞬間に、お!これは楽しいぞ! と、脊髄反射的に買った。じぶん一人としては非常に楽しかったけど、場として、うまく嵌められなかった感があった気もするので、次回遊ぶ時は、ちょっと意識しよう。あと、答えを出した人間をまず容疑者として審判する、っていうところの大切さに気づかず、なあなあにしてしまったので、それも、よくなかった。いやでもよいゲーム。


『タイムボム』

 相変わらず、大変好きだ。ちょっとした正体隠匿要素、ちょっとした嘘つきゲーム、というものであっても、多少は苦手意識を出されることがあるのだけど、これは、それすらあまり感じたことがないのだよな……。別に嘘つかなくてもなんとかなるからなあ、というか、嘘のつきようがないこともあるし、そのあたりのバランスの巧みさ、とは言えるんだろう。


『ディクシット・オデッセイ』

ディクシット:オデッセィ(DiXit ODYSSEY) 多言語版

ディクシット:オデッセィ(DiXit ODYSSEY) 多言語版

 これも相変わらずおもしろいけど、ほんの少し、惰性みたいな雰囲気になっちゃってたところがあったかなあ。じぶんが遊び過ぎなだけな気もする。あと、センスが多少ズレてる等で、勝ちにくい人、というのが出がちではあるので、そこも気にしたほうがよい、というのは改めて思った。


『スモールワールド』

スモールワールド 日本語版

スモールワールド 日本語版

 初遊び。今回の主役、みたいなノリで遊んだ。所持する友人に持ってきて貰った(所持者も初プレイ)。各種特殊効果(ランダムで決まる)を持つ軍勢を選び、盤上のエリアを奪い合う。陣取りは当初から好きなメンツだ。もともと陣取りからボードゲームに入ったところがある。ので、やっぱりものすごく盛り上がった。かのドミニオンと賞を争った名作だからね、というのも、そもそもあるとは思うけれど……。エリアの奪い合いであるため、直接攻撃要素というか、戦い合い、という雰囲気ではあるのだけど、けっこう楽ちんに奪える感じがあるので、血で血を洗う戦い、というような空気には、ならない、とまでは言わないけれど、多少、緩和されている感じはある。簡単に奪われるし簡単に奪える、から、奪われて悔しい、とは、思いにくくなっている。まあでも後半になったりするとそうでもなくなるか……。ともあれ、拡張も沢山出ているし、これはもっと遊びたいなー。ほんとうにもっと遊びたい。アプリ版は買った。


『犯人は踊る 第三版』

 基本的には好きなゲームなんだけど、犯人、っていう言葉が「一人が犯人」という印象を持たせるところがあって、脳内でどういうふうにイメージを処理してよいか判らない、ということに、なりがちなゲームな気はするのだよなー。じぶんが犯人、じぶんが探偵、というような「ことではない」と伝えておかないと混乱を招くところがある気がする。テーマが別だったらよいのかなあ、とも思ったけれど、探偵カードを出しながら「あなたが犯人ですね!」って突き付けるの、気持ちよいから、ここをなくすのはもったいないしなあ、とも思った。でもよく出来てる。何回か遊べば慣れるだろうとも思う。


『ラブレター』

ケン・ニイムラ版ラブレター

ケン・ニイムラ版ラブレター

 定番。初手一発で相手のカードを当ててみせる、っていうのが決まると、盛り上がるけど、慣れてるメンツだからだろう。二回起こった


『コードネーム』

コードネーム 日本語版

コードネーム 日本語版

 初遊び。今年2016年のドイツ年間ゲーム大賞の受賞作ということで遊んでみたかった。買った。街中に潜んでいる二十五人のスパイの「コードネーム」(名前)が、場に並び、どの「コードネーム」が味方のスパイであるか把握している「マスター」の一言ヒントを元に、自陣営のスパイを当てていくゲームだ。複数の「自陣営のスパイ」のネームにまたがったヒントを言えた時、うまく伝えられた時に、盛り上がりを見せる。相手のスパイはそのヒントに含まれないようにしなくてはならないし……。マスターが楽しいというのは間違いなくあった。カード・ポイント・ショップ、という三人のスパイ(の名前)に対して、ビックカメラ、というヒントを出したマスターが、素敵だった。


『街コロ』

街コロ

街コロ

 初遊び。じぶんの街を作る、というフレーバー。場からカードを買って、建物を増やしていく。建物ごとに効果があって、効果は「サイコロを振った出目」で発動する。各プレイヤー、毎ターン一回サイコロを触れるのだけど、二が出たらこの効果、相手が三を出したらこの効果、というようなものが、建物カードごとに決まっているのだ。相手が三を出した時にお金を奪える「カフェ」を沢山建てていたプレイヤーがいたけれど、誰も三を出さず、出しても破産していて金を奪えず、一人で哀叫していた。勝利条件を見て、時間かかりそうだな、と思っていたのだけど、加速度的に収束していくタイプではあって、思ったよりサクッと勝利条件を満たされてしまった。負けた。うーん、流石、これもおもしろかった。これはもっと遊びたいな……。もうちょっと戦略的に戦えればよりおもしろそうだし、二回目からが本番な気がする。拡張を入れると戦略性としても非常によいバランスになると聞く。次はそれで遊ぼう。

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昨日の続きというか断片メモ(知っている「否定的意見」をどうするか)

 世の中にある否定的意見まで、目を逸らさず耳を閉ざさずちゃんと聞いて、しかもちゃんと反論して、さらにはちゃんと論破できていたら、ちゃんと好きだ、と言える――ちゃんと好きだ、っていうことに「なる」――ちゃんと好きだ、っていうことに「できる」、という意識、ちょっとあやうくないかあ?
――2016年8月5日

▼▼昨日の日記の話、あれは、逆に言うと――
▼▼あるものに対して、好きだー、と思っていたとしても、でもその「あるもの」ってこういうところが駄目じゃんかー、っていう否定的な意見があるのを知っていて、それにきちんと反論できていなかったら、それは「好き」と言えない――好きだ、って言うに値しないぞ、みたいに思っているところが、ある――若干であれ、あるっぽい、思想の背景にありそうだぞ、ってことなのだよなー。あるんじゃないかと疑える。というか、まあ、あるんだろう。
▼▼しかも、その否定的意見を、もし知らなかったのなら、反論できてなくても、よい、って思っているところがあったりもして、そこに関しては、無茶っていうか厳しいな、とも思うのだった。知らなかったら論破できてなくてもよい、と思っているのである。気づいてなければよい。ただし、気づいててるのに気づいてないフリをするのは、駄目。
▼▼知っちゃって、認識しちゃって、問いをぶつけられたのなら、それによって、判断の根っこに揺らぎが生じてしまっているのなら、それをどうにかしていないと――論理的な解決をキめられていないと、好き、って言っちゃ駄目!! みたいな、ところが――感覚が、ある……のだ……。▼▼知っちゃったらアウト。知っちゃったら反論しないとアウト。知ってしまうだけで即座に制限を喰らう(逃れられない)、というルール。うーん、このあたりのルール、けっこう微妙じゃないか? 目や耳を閉ざしていればよいのか? (まあしかし、目や耳を閉ざす、というその態度がすでに、好き、って言っちゃ駄目、ってことになる条件、に抵触するんだろうなあ)


▼▼知ってる世界、知ってる情報、おのれの認識、の中の、さまざまな意見、言葉、を、うまく操って、調整して説得して、それが好きだ、と、じぶんが言うに値するだけの情景や背景、を、構築できてないと、好き、って言えない、言えなくなる、言っちゃ駄目と考えてしまう、みたいな、観点があるのだ、なあ。
▼▼ぼくは、知っているさまざまな「世の中で聞く意見」について、こういうことを思っていて、議論も尽くしていて、論破しているところもあって、こういう立ち位置を築いているので、こういうことを(好きだ、ってことを)、遠慮なく、迷いなく――さも「正しい」みたいな顔で、言えますよー、っていう、感覚。


▼▼この感覚どうなん……、微妙やん……? っていうような心持ちで、ここまで書いてきてしまっているのだけど、こういう感覚が背景にあるからこそ、じぶんの好き嫌いや感覚を肯定できる? 他人と意見の交換(ぶつけあいとか比較)をすることに意味を見出せる? みたいなところがあるんじゃないだろうか、って気もしてきた。
▼▼人様の意見とおのれの中にある好き嫌いが完全に断絶してたら(人が何かしら言ってることと、じぶんが好きだとか嫌いだとか思うことが、まったくもって影響関係を持たないような精神構造があったら)、それはそれで大変なことになりそう。


▼▼人の意見に振り回されて、じぶんの中の「好き」が曖昧になっちゃってたら、やだねえ、というだけのことについていろいろ考えている感じにはなってきている。


▼▼これってこういうところがよいよねー、って言っている人様の話に対して、いやでもそれのそういうところはこういう側面も持ってるから(場合によってはこういう側面が表に出ることがあるから)一概によいとは言い切れないよね、みたいなツッコミ、世の中に沢山あるじゃん……、有名なツッコミが沢山あるじゃん……、それらくらいはなんとか解決してからそれを「よい」と言ってくれ……、なんて思っていることがあって、これの裏返しの気持ちの話なんだよなー、ということも思ったりした。
▼▼確かに、普通にここが駄目じゃん、みたいな意見を「重視しない」「尊重しない」「とりあえず脇に置く」っていうスタイルも、おかしな感じじゃない? と思うところはあるのだよなー。
▼▼まあでもそれは「よい」の話だからでは? 「好き」の話なら別なのでは? 
▼▼好き、って気持ちの場合は、普通にここが駄目じゃん、って「言われているのを、とりあえず気にしないでよい」「気にしないでじぶんの気持ちを大切にするのだ」って「思ってよい」の? 好きっていう物差しにはそういうルールなの? ▼▼まあねえ。究極的には、あなたが「好き」っていう気持ちをどういうルールで扱いたいか、ってことにはなるかと思うけどねえ……。
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ちゃんと好きだ、っていうことに「なる」

▼▼世の中にある否定的意見まで、目を逸らさず耳を閉ざさずちゃんと聞いて、しかもちゃんと反論して、さらにはちゃんと論破できていたら、ちゃんと好きだ、と言える――ちゃんと好きだ、っていうことに「なる」――ちゃんと好きだ、っていうことに「できる」、という意識、ちょっとあやうくないかあ? っていう感覚のことを、昨日の日記では書きたかったのだった。▼▼っていうことが判った。睡眠を挟むといろいろ判る。
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