ツインテールの日

▼▼内輪話を無関係な人に聞かせてもツマランだろ、とか、お前の個人的な好みの話なんか聞かされてもツマランぞ、とかいう言説が時折あるけれど、対象物を、個別認識や個体認識し始めて、文脈を知ったり近況を知ったりして、まあつまり、親近感を覚えられるようになったりしたら、楽しくは、なったりする。するよなあ、とよく思っている。
▼▼閉じた話、狭い話、内輪の話、が、閉じてることや狭いことを理由に、つまらん、とツッコまれている情景なんかを見た時に、うーん、けどでもまあ、相手によっては、内輪話、閉じた話や狭い話を、むしろ聞かせてよー、と思ってしまうこともあるからなあ、なんというか、「閉鎖的」「個人的」というところから「身近さ」を見取って「親近感」に繋げていくルートを通りたくなるような局面ってけっこうあるしなあ、なんて思うことがあるので、閉鎖的で個人的で無関係、というようなことに向けて、あんまり冷たいことは言えないところがあるよなあ、とか思っているところはあるのだった。


▼▼というような、聞きたさ、聞きたくなる相手がいること、というところから、だったらじぶんも多少は積極的に言ったほうがよい(言ったほうがよい、と判断しておいたほうがよい)のかなー、なんてふうに迷うこともあって、というのと同時に、内輪的閉鎖的個人的なことで、でもまあ、言ったらもしかしたら面白いかも……、話として単純にウケるかもしれないし、話の拡がりとしてウケてゆくことが期待できるかもしれないし、とにかく、言っちゃおうかなー、なんてふうに思えた時に、内輪的閉鎖的個人的な話を、あえて繰り広げることの、是非、に目を向けることあったりもして──。
▼▼というところまで考えてきて、些細なことでも聞きたくなる親愛性の話と、面白いと思ってもらえるかもしれないから(ウケであろうことが想像できるから)言っちゃえみたいな話、混ざってない??? って雰囲気になってきた。混線してる気がする。
▼▼(内輪的閉鎖的個人的、些細な話、という区分の中で)これを言ってみたら面白いのでは? と思った時に(よいものなのでは、と判断した時に)、同時に湧いた「世に出す、ということに対する不安」を、払拭したくなってしまい、人様の個人的な話を聞きたい人もいるからね、ということを持ち出すのは、ズルだ、ズレだ、って思ったのだった。


▼▼思考の発端、文章の動機、が、今日2月2日はツインテールの日であり、ツインテール好きなんすよねー、っていうことを書くかどうか、というところにあったため、なんかこう、そのことを見つめながら書くことになって、なんだこの(思考時、執筆時の)目の動かしかたは……、ってなった。面白かった。


▼▼不安を生んでいるロジックを誤魔化すために別のところからロジックを持ってきて打ち消そうとする行ない、というのは、けっこう好きなほうである。解明して曝こうとするのも好きで、まあ後者のほうが好きなので、後者のほうをよくやりがちだけど、前者を撲滅しようとするような精神ではない、かな。ということを最後に思った。