世界は称賛に値する

日記を書きます

向きの種類

▼▼端的にただそこにあるだけ、というような、フラットで意味や価値から離れているようなものに対してであっても、面白さ、美しさ、気持ちよさ、好きさ、といったものをもとに、人は勝手に「方向性」を付与できる。向かうところ、向かうべきところ、向き、というようなものを、主観的に見つめられるな、って思った。
▼▼ある物事が最初から持つような目的みたいなものと、観測者が勝手に付与し始めるそういったものの、区別って、できているかなー、というかできるのかなー、というような疑問を持ったのだった。物事それぞれの体感の中に感じている向きを意識できていて種類なんかも区別できているんだろうか。
▼▼作られた目的や生まれた目的、使命や運命や役割、価値、意味、といったものが取り沙汰されているような時に、向き、が大切になってきてはいそうだ、とは思った。向きの有無、向きの強制、向きの決定権、向きの自覚、向きの自由、向きの錯覚、向きに対する信奉、といったあたりの認識と操作に興味を持っている雰囲気だ。