サブジャンル名が好きだ

▼▼サブジャンル名が好きだ。特に物語のサブジャンル名にはわくわくさせられるな、と思った。おおまかな区分をより細かく区分けしようとしている意志と挙動、にわくわくさせられるから、というのもあるかと思ったのだけど、サブジャンル名を見かけると妙に妄想が駆動させられるから、というようなところもありそうだ、って思えた。下位の「サブジャンルの名称」から喚起され創出される妄想は、上位の「ジャンル名」から喚起され創出される妄想より、愉快である、と思えるような経験則があったのだった。具体的だからかな、と思ったりもした。サブジャンル名は、単なるジャンル名と比較すると、境界線がはっきりくっきりしていて、細部もしっかりしており、具体的、実際的、現実的だ。具体と実際と現実の側に近づいてゆく。ということもあって、具体や実際や現実の匂いが濃いめの概念に接した時のほうが、妄想が加速されるところがあったりするんじゃないか、なんて思えたのであった。
▼▼ジャンル名──第一段階の整理と区分、では、まだ、ぼんやりふんわりしすぎていて曖昧で情報が薄い。でも、せめて多少の抽象化は為されていないと、妄想してみせるための隙間もない。というような状況があって、サブジャンル名というものが程よい輝きを見せてくれていたりするんだろう、とも思ったりした。


▼▼とはいえ、基本や基礎となる「ジャンル」のための「区分けの線」(整理の『第一段階』で引かれる線)が、如何なる高さのところに位置しているか、というのは、あくまで任意というか、恣意というか、状況や幸運にも因るところがあって、ある線を指して「この線引きがサブジャンルという『線』であり、ここが好きである」って言ってしまおうとするのは、実は無謀?(ツッコミどころが残りがちなんじゃないの?) というようなことも合わせて思ったりした。サブジャンル名が好き、と、ツッコミ受けないよう発語してみせるの、事前準備的にはなかなか手間なんでない? なんて思えたりした。
▼▼道徳の「納得できそうな位置」が、人類全体でまあまあ運よく一致している、のと同じように、ジャンル分けに関する脳の働きについても、人類まあまあ似たようなもの、というような説話なんかが、ありそうではある、かな。