制限を知らなかったころの気ままな想像が、核

▼▼物理学的な縛り、生物学的や生理学的な縛り、といったものについては、逃げようのない限界だ、と今では思っているところもあるため、このあたりのことを把握できていなかった「こどもの頃の気ままな想像」が、精神の核になってしまっていること──こどもからおとなになるという順番を崩しようがない以上、無知な頃の想像が精神の核になってしまうことを避けるのは、極めて困難であろうこと、に対し、あーあ、と思ってみたりすることも、あったりはする(でもまあ、とはいえ、このあたりの「核」に潜む、自由さや奔放さが、なんとなく世界を明るいものとして見せてくれているところ、も、ありそうかな……)。