取り壊される前に見ておくことが善という印象ではない

▼▼建物が取り壊されるとか、商品の生産が途絶えるとか、いままであった事物がここで無くなる、っていう時に、最後に行っておこう、最後に見ておこう、最後に楽しんでおこう、と考えるような精神や思考、世界観を、善や正だとは思っていなくて、むしろ、自己満足と自己中心とか、視野狭窄とか狡さとか、を思ったりしていることもあって、つまりまあ、なんだかなー、って思ったりしていることが、ある。▼▼でも、とはいえ、好きな精神や思考でもあるか、素敵だ、健やかだ、とか思っていることもある。活かしかたしだいだというか、うまく活かしたいというか、うまく付き合ってゆきたいな、と思っているところがある。
▼▼というところまで考えてみて、うーん、これって、なんというか、社会や人類や、じぶんに対して「害があるもの」や「悪いもの」を、なんか愛してしまう、妙に好んでしまう、悪いのはわかっているけどやめられない、背徳感、必要悪、などといった「害悪だとわかってはいるのだけど」って構造とは、少し違うか、って思った。▼▼こういう精神や思考、世界観を持っていると、こういった場面でこういった行動が出てきてしまいがちなので、あんまりよくない、のだけど、でも愛してしまっている、という情景と、人体や社会に不備を来たすであろうものを、しかし愛してしまっている、っていう情景の、あつかいが異なるのは、まあ当然かー、とも思ったりした。