モシモを投げ込んでみることによる、社会建立プロセス妄想

▼▼世界に対して「モシモ」を投げ与えてみるのが非常に好きだ。サイエンスフィクションジャンルが好きな理由だ。▼▼こんな物体が──こんな法則が──こんな現象が──こんな歴史が「モシモあったとした」ら、と問うてみて──現状の世界や社会や人類やじぶんに対し、勝手に「フィクション」を混ぜてみて、でもって、問うてみたり混ぜてみたりしてみることによって、脳内で化学反応のように湧き起こってくる、新基軸の世界シミュレーションが見せてくれる情景が──脳内に拡がってくる、見慣れたところもあるけど見慣れぬ地平が、ほんとうに好き、なのだった。異様に愉しめる。
▼▼違う何かが──ほんの一つだけでも、鍵のような何かが、あったならば、この世界はぜんぜん違うものであったかも、という想定が好きなんだと思う
▼▼鮮やかな青色の水溶液の中に別の液体をぽとんと一滴落としてみたら水溶液全体が突然真っ赤に染まった、とか、ほんの一つの新型回路の開発と組み替えが機材全体の運命や寿命や活かされる場所をおおきく変えたのだ、とか、偶然そこに置かれていた岩が、大河の流れを、地味に、しかしおおきく、着実に変えていった、とか、いうような情景が今は思い浮かんでいる。暇潰しのように思い浮かべて、たまに笑っている。
▼▼人類が、世界に相対して、社会を形作ってきた、過程、試行錯誤と対処、実際に乗り越えてきた姿、あたりが好きなんだろうなー。▼▼だから、モシモこの世に魔術があったら人間はどう対処してきただろう?、なんてふうに問うてみて、社会を建立してくプロセスをシミュレートしてみる、のが、楽しい、んじゃないかな。


▼▼追記。
▼▼世界にモシモ、コレがあったら? っていう想定によって、新しい世界が見えるようになって愉しめるぜ、っていう話と、水溶液とか回路とか大河の比喩は、似合ってなくない? 同じ話じゃなくない? ▼▼段階のズレみたいなのを感じるのだが……。▼▼わざわざ追記でツッコむならもっと整理してからツッコめばよいのでは……。