懇親会2018晩夏

▼▼勤務後に懇親会があった。情景と会話と酒とつまみとおのおのの参加者にする認識を混ぜこぜにして、情感や情動が揺るがされるように、喩えよう、語ろう、というような意識が出てきたので、取り下げた(途中から雨も降ってきていたし、酒の記憶には様々な種類のものがあって、つまり酒の記憶から悲喜交々を呼び出すのって容易だったし、好きなのか嫌いなのか微妙な顔触れだったし、ってこともあって、いかなる「情緒」であろうと言おうと思えば言える雰囲気であった)(だから、言わなくていいんじゃない?と思えてしまった)。
▼▼情緒的に書きたい場面も書きたくない場面もある。情緒的に書いたほうがよいかなと思える状況も思えないなという状況もあったりする。情緒を交えないほうがよい記憶だと思えていることもある。ビジネスライク、淡々、という記憶のほうが、よい気はした。まあ逃げのような気配もありそうだ。謎説明、謎解析、謎付記、を書いているのが幸せな光景、というのもあったりはする。と思う。
▼▼親しくしようという意志は好きだ。正しさや善を見ようとしてしまっている瞬間すらある。全人類仲良しこよしに、明るさや輝き、美しさ、などを見ている。とはいえ、全人類仲良しこよしは人間が持つ頭脳や知性の限界を超えているんじゃないだろうか、ということも、おとなになって、想像はできるようになった。ので少し迷ったりもしている。頭脳、知性、認識、の限界、といった要素を、こどもの頃には想像できていなかった。理想や希望の中に組みこめていなかった。幼児から学生までの脳の機能増の中で「限界」など想定できるわけなかった、とも思えてはいる。当時は人間も人類も謎であった。とか言うと、今でも謎なはずである、と言いたくはなる。