世界は称賛に値する

日記を書きます

五分五分の時の選択肢、どちらに振れるか

▼▼たいていのことはケースバイケース、というか、毎回、随時、何が適切か妥当か有効か、よいか、については、試行錯誤を重ねたほうがよいんだろうな、と思っているところがあるわけだけど、そして、誰かに「これの答えは何?」と聞かれた時に、そういうのは毎回丁寧に考えてみることが大切だ、と言ってみせるような癖もあったほうがよい、とも思っているのだけれど、あることに迷い悩んで、答えを求めるようにして、頭の中で一人問答している時に、ケースバイケースだから!ケースバイケースだから!って言葉を脳内にぶつけ続けていると、いいかげんにしてくれー!と思ってしまうことなんかもあったりはして──
▼▼まあなんというか、ケースバイケースであることはもう重重判っていて、ケースバイケースが大切だね、と思っているからこそ、随時検討せねば!と思い、実際にいろいろと検討も重ねて、丁寧に考えた結果として、「うーん、これはもう、残りは読み切れないところばかりだし、情報だっておそらく増えないだろうし、五分五分、と言うしかないな……、思うしかないな……」と思えるようになったというのに、そして、ここから先はもうじぶんで決断するしかないのだ……、そういう段階だ……、とさえ思えるようになったというのに、にもかかわらず、こいつはまだ「ケースバイケースケースバイケース」言ってくるのかよー、しつこいよー、判ったよもー、というような状況になることが時々はあって、最終的には、うるせえ!!!、って思い始めてしまうことなんかも、まあ、あったりする。するなー、って思った。
▼▼昨日の日記の続きというか、ぼんやりしていたところの補助線的な記述し直しかな。


▼▼ケースバイケースって大切!と思っておこう、に、重心を置きすぎて、よく判らない混乱に陥ってることがある……。というのをなんとかしたがっている模様だ。
▼▼五分五分っぽいな、という判断(気分)を持てるところまで検討を進めたのに、ケースバイケース、って言葉に踊らされて、スタートラインに戻りたがる癖がある。


▼▼ここから先はまあどちらがよいか五分五分だろう、思った時に、何を求めるか──どちらを選択したがるか──どちらに「選びたさ」を感じてしまうか──「選ぶ理由」があとは頭の何処から出てくる(出てきうる)か、っていうようなことを、じぶんの中でちゃんと大切にしたほうがよいのでは、ということについて、考えている、かと思う。


meltylove.hatenadiary.com