与えられた文章題も気持ちよい

▼▼算数の文章題を解こうとする行為に対して「考える」という言葉を当て嵌めるのは少し違和も出てくるのだけど、考える、という行動が見せてくれる面白さや気持ちよさはまあまあちゃんと味わえるじゃん、と思えているところもある。ある気がした。文章から状況を読解し、問い、という形に仕立て上げて、解答のための「式」を作り、計算して、回答を示してみせる、といった一連のプロセスを、なぞっているだけで、考えている、という感覚は、覚えられているな、と思った。誰かが考えてくれた「問題の隠されている状況設定」を前にしていても、考える感、は得られる。
▼▼考えることの面白さや気持ちよさ、っていう言いかたが微妙なのかもしれない、とも思った。単純にこの種の行為がぼくは気持ちよいのだ、でよいかとは思う。▼▼閃きの気持ちよさ、とは別口の、頭脳を働かせていることの気持ちよさ、というのが、あるのだろうな、という再認識だ。