課金ではぐれメタル戦プロセスのどこが変わるか

▼▼遠目および俯瞰で見過ぎだなーと思った。遠くから全体像を眺めているせいで、細部が見えていないから、細部観察によって動き始めるはずの心が動いてなくて、結果、心境判断に判断ミスの匂いがしている。遠目で俯瞰な視認でぼんやり枠組みだけが見えている時の印象と、接写の印象は、ぜんぜん違う。印象を受けて発動する情動も当然変わるだろう。というような現象を踏まえて、距離を巧く適切に測っておかないと正直言って心境判断なんてまるで当てにならんなー、と思った、のだった。接写して、細かな違いで切り分けて、おのおのの場面での心の動きを見ていかないと、駄目駄目、である。
▼▼場面場面と瞬間瞬間、で、丁寧に思考実験していかないと、心を見過ごしそうだ。
▼▼引き続き「はぐれメタル戦に対する課金問題」で心の動きを見直してる。
▼▼状況設定をころころ変えつつ気分の変節を見つめてる。▼▼はぐれメタルが出るとは知らずに運良く出逢った時の気分と、はぐれメタルが出現する場所で出逢いを求めてうろついてる時の気分と、はぐれメタルが出現した瞬間の気分と、はぐれメタルとの戦闘中の気分と、戦闘直後に逃げられた時の気分と、戦闘長引いた末に逃げられた時の気分と、奴が逃げるの失敗したのを見た時の気分と、運良く倒した時の気分と、多量の経験値が数値表示で獲得できたのを目にしたときの気分、は、ぜんぶ違うはずである。
▼▼具体的に想像できてなかったな、ってことだ。
▼▼対はぐれメタル戦の、おのおのの場面を切り取る時に、思いのほか、具体的な状況を想定できていなかった。つまり脳裡の想像に細部がなかった。ぼんやりしていた。言葉だけで考えていた。印象論で考えていた。目配りできていなかった。▼▼遠目および俯瞰で雰囲気だけを腑分けして「分析してる」つもりになっていた。
▼▼接写せよ話と具体的に想像せよ話が混ざってる。のは気づいてる。
▼▼けど同一視してしまってもよいのかなー? 混ぜちゃってよい? 混乱中である。接近しての細部認識、と、具体的認識、は、同じ行為にあたるのかな? 同一なのでは?と思えるところもなくはないというか、明確な違いを持ち出せない。▼▼とはいえ、若干の違和もあって、接近して細かく見ても「具体的」に繋がらないような道も、あるような。
▼▼混乱は解けてなくて、現状では結局、具体的に想像をしないと駄目だろ、って言いたがってる。接近しないと駄目だろ、では、等値にならないような気がしてる。
▼▼課金嫌悪は特になくて、けど、巧く使って欲しい、とは思ってる。可能な範囲で「白けさせないで欲しい」と願ってる。興醒め地点はおのおので無論違うだろう。個人差は当然ありうる。ありうるので、さしあたってじぶんの興醒め地点を見定めたがっている。見定められたら取捨選択の基準にも援用できるしなー、とも考えている。
▼▼課金直後に起きる変化が、経験値の数値が単純に直接増えるなのか、はぐれメタルに逢えるなのか、はぐれメタル逃げなくなるなのか、だけでも、雰囲気はぜんぜん違う。単純思考だと「逢える」が一瞬は楽しめるけどすぐ飽きる感じで、逃げなくなるのほうが比較的持続はしそう。でも結局飽きてる未来も見えなくはないなー。
▼▼ていうか比較難しいな。不明瞭だ。嬉しさを思考実験で引き出すのって困難な事業なのかもである。思考実験で引き出しやすい/にくい情動はありそうだなと今さら思った。