世界は称賛に値する

日記を書きます

はぐれメタルが逃げない課金

▼▼ほんとうにテレビゲームにおけるじぶんの倫理観は乱暴だなー、と自覚した。範囲が不明瞭すぎる。課金ゲーム問題の状況を聞いてて──思考実験してて、流石に境界線が曖昧すぎるだろ、と思った。経験則として、裏技によるオレツエー的進行は許してしまうほうだ。ほぼ抵抗なく楽しめてしまう。けど、改造には抵抗を覚えてしまう。簡単に言うと改造に対しては「狡い」と判断するのだ。罪悪感に抵触する。境目が雑だ。
▼▼製作者の故意による(用意された)裏技かどうかでも印象変化してくるしなー。
▼▼製作者の意図を重視してる──世界観的に気を回してしまう、のかも、とは思える。
▼▼課金を意図と捉えうるか、が問題なのかもである。
▼▼課金ではぐれメタルを逃げられなくする問題、が、難題だー、と思って書いてる。課金で変質させる要素によっても印象/解釈を変えてしまいそうだしなー。出現率および逃亡率、における数値を、いかほど変えるか、だけでも違いを見てしまいそうだ。
▼▼課金は「金額の問題」にしちゃう気もしている。持ち金との対比?
▼▼はぐれメタル逃げなくなる課金が10円だったらまあ買うだろう、し、楽しめると思うし、特に楽しさ減じないのではないかなと想像できる。出逢いにくさが残ってればいいの? けどまあ「課金10円で確実に出逢える」は間違いなく作業感出て飽きるよなー。
▼▼過程が便利になるのと、結果をまんま買えるのは、印象変わる、みたいな、人間の認知の問題、になってくる、のはなるんだろう。認知科学問題で定式化されそうで嫌。
▼▼人間はこういうパターンなら楽しめるからこういうパターンで行け、が、若干嫌。
▼▼認知科学や行動科学的に言って、人間は、プロセスにおけるココが有利になるのには違和を覚えなくて──られなくて、楽しんだままでいられるから、変更可能な関数を置くなら、こういう位置取りで、っていうもの「ばっかり」になる未来が、嫌、なのかな。
▼▼定型化されると類似品ばっかりになって結局飽きそう、という不満も読み取れる。
▼▼時間かければできる──結局誰でもできるじゃん、が、課金投資で獲得できるようになって、無駄無価値に変質する、あたりの問題で、RPGのおもしろさつまらなさも少し変質させてしまいそうなのだけど、正直考慮不足である。レベル上げカッコ笑なの?
▼▼前提として「正直RPGを凄く楽しめる、レベル上げ楽しい」っていうのが、ある。
▼▼課金で操作できない腕の差、に意識を向けすぎるのも、軽く違和感あるのだった。