悪魔のミカタ666 6巻 ノット・B(うえお久光)

悪魔のミカタ666〈6〉ノットB (電撃文庫)

悪魔のミカタ666〈6〉ノットB (電撃文庫)

「カップルと理屈はどこでもくっつく。正解なんて状況によっていくらもあるんだ。だからおれはどっちをおまえが選ぼうが、逆だ! と主張してみせる。いまのおまえは間違っていると、おまえを納得させてみせる! それらしい理屈を展開してな! なぜだかわかるか? それはな、おれがおまえを大好きで、だから説得したいからだ!」
「はう、あ?」
「だからおまえは、逆にいうなら、どちらを選んでもいいんだ。そのどちらだって、おれが正解にしてみせる! 正解だっておまえを納得させてみせる! いいか? ここで一番大事なことは、相手に対して働きかける意思を持つことだ。『従う』にせよ『諫める』にせよ、自分の中で終わらせるな。『信じる』にせよ『疑う』にせよ、自分のなかだけで完結するな! 疑問があれば聞け! 殴ってでもいってくれ! 納得したいと、説得したいと、そういう気持ちを無視するな!」
――P.246

《★★★★★★》最高点じゃ足りないなの星六個
▼微塵も冗談ではなくて、まあ冗談ではないことに違和感とか罪悪感すら感じてしまうくらいなのだけど――褒めちぎるのは難しいなあ何故か――、悪魔のミカタのうえお久光氏と、サウンドトラックの古川日出男氏と、猫の地球儀の秋山瑞人氏には、流石にちょっと語りが巧すぎるだろ、とか思ってしまうことが結構ある。結構沢山あったと思う。同じ範疇だと村上春樹氏も加えられそうな気がするのだけれど、よくわからない。何となく違うかもとも思う。基準が不明瞭だ。基準がぼんやりすぎて、誰かに賛同を求めていいのかもわからない。同時に、同様に、秋田禎信氏にも類似した雰囲気を感じることがあったのだけど――特に『閉鎖のシステム』の文章に対しては強く感じていたりもしたのだけど、普段はわりと節制しているのかな、と感じているところもあった。通常時は節制に匂いを感じるのだ。需要と供給の問題だったのかな。技術と要請と指向の問題かもだ。というあたりで閑話は終わり。▼繰り返しになるけれど、心底語り口が巧いなと思った。まあ以前から思っている。読ませる、という言葉で伝わる要素がコレだろうか。同時に、進行も滅茶苦茶巧いよなあ、と感じている。物語が巧い。いつも想像の上をゆくよな、なんて誇張表現してしまいたくなるほどだった。とにかくもう滅法おもしろかった。おかげで満点越えを許したくなったし、許した。物語が何処に向かうかすらまるでわからない。推測が不可能なほど状況が複雑だ。推移も終幕も伺えない。にもかかわらず、語りは丁寧で、物語があんまりぼやけていない。だからおもしろい、とも言える。推薦していいのか非常に迷うが、可能な限りは推薦したい、と考えている。以上、おもしろいおもしろい言うための感想文を終わります。最初から読もうかな、とかも思った。記憶が薄いところも出てきた。