世界は称賛に値する

日記を書きます

多様性を手頃なところで諦めて、簡単に理想を実現しようとするのは、どうなのさ

▼難しいなあ。世界は多様であったほうが素敵だとは判断しているけれど、会社が多様であるのは難しいだろうとも思っている。世界には目的がないけれど、会社には目的があるからだ。というか、世界は目的なしに見なせるけれど、社会は目的無しには見なせなさそうだからだ。社員の価値観は幅広いほうがいいんじゃないか、という話とは別の話だ。別の話だけれど、かぶるところも当然あるだろう。まあでも、諦めるのには早いか、とも思う。なんていうか、たとえ利益度外視のマッドサイエンティストだって、配置次第で化けうる、んじゃないかと思えるからだ。活用だってできるはずだろう。ということは認識しておく価値があると思う。人格は経時変化しうるわけでさ、ということを踏まえてしまえば、許容不可能な性質なんてなかろう、とか思ったりもするのだった。なんて、ちゃんと考えておいて、狭量を排除する方向に持っていこう、と考えていた。若干サボりがちだ。