世界は称賛に値する

日記を書きます

頑張りを見せつけたいけどたぶん本質というわけじゃない

▼相手の望みと自分の慣習が都合良く巧く噛み合って、想像していたより相手の幸せが楽に実現できてしまうかも、という状況が現れたりすると、何となく否定に向かおうとしてしまう。なんて癖があって、駄目かもしれんなー、って考えていた。君のためになら無理ができるぜ――という「頑張り」で「感謝」を表現せねばならない、なんて意識があったりする。のだろう。頑張ることで「君の幸せ」を叶えてみせるぜ、という形式を保持しないと駄目なんじゃないか、なんて固定観念が混じってしまっているのだ。だから、頑張りを相手にきちんと見せるために、頑張らなくても具現化可能な幸せ、から、あえて手を引いてしまう、なんてことがありえたりしていて、駄目かな、って思ったのだった。簡単なところにあるからといって軽視するのは違うだろ、って思った。のだと思う。