四季(森博嗣)

四季

四季

 その男は、人の行動の裏をかくこと、あるいは、ほんの僅かな隙をつくことにかけて天性の素質を持っていた。電車で乗り合わせた見ず知らずの人の手からちょっとした拍子に滑り落ちそうになったものを軽く受け止めたり、デパートの女店員が棚から下ろそうというとき、積み重ねられた靴箱が崩れるより僅かに早い瞬間に、そっと片手を出しだすことができた。何でもないことのように思えるかもしれないが、その動作が極めてスムースで静かだったことは驚嘆すべきだろう。動きが速いのではない。判断が機敏なのである。
 攻撃は最大の防御という言葉があるが、相手が防御しようと構えている場合には、そうそう簡単に有効な攻撃をすることはできない。むしろ相手が攻撃に転じるその一瞬に、隙が見出される。ボクシングでいうところのカウンタである。それは、エンジンのピストンのように、動きが反転するところで、一瞬静止することを想像すれば簡単な理屈だ、と彼は考えていた。この男は、こういった不思議な理屈を幾つも持っている。類似する現象を見つけ、それによって理屈を作る。信じることを、正しいことに塗り替える。それが彼の手法なのだ。
――P.315