慈愛と自愛のバランス

▼好きだと思われたい。格好良いと思われたい。評価されたい。なんていう動機だけで動いているわけではないことを、知ってはいる。けれど、前述した動機群が存在しないわけじゃないことを、知ってもいる。優しくしようと思う時、助けようと思う時、幸せになれと思う時、思考の背後に、あなたの苦労を利用しておのれの価値を高めてしまおう、という心理もまた、存在している。ない、とは言えない。醜悪だ、とはもちろん思う。強く思う。が、消えない。消せない。脱却したい、とは思い、排除せねば、とも思う。でも、逃げ道なんてあるのだろうか。純粋無垢に「ひとを慈しむ」ことが、実際この「おのれ」に可能だったりするのだろうか。午前5時半起床。寝起きを早めてみた。真似だ。朝型も楽しそうだ、と思えたからだ。朝の雰囲気は以前から好きである。朝の光が好きなのだと思う。穏やかな陽光が窓の向こうに広がっていた。朝特有、という単語が思い浮かんだ。