人が集まって薄まる
大衆に見つかる、って言い方はぜんぜん素敵じゃないとは思うけど、著名人の紹介などによって急に耳目を集め始めてしまうようなことはあるんだよな、って思った。そうして、勢いで一時的に人が集まってくる。それにあやかる形で、にわか仕込みの粗製乱造が増えたりもする。わかりやすいところだけを真似た、それっぽいだけの品が、大量に混じってくる。結果、はずれを引く確率だって上がる。せっかくあった高品質のものたちが埋もれていく。全体の質が薄れていく。輪郭もぼんやりしていく。軽々しくあつかわれる光景も増えていくに違いない。
もともとの愛好者たちがそんな状況をイヤがるのは、そりゃまあそうかな、って思う。ただ、だからといって、新参者や初心者をないがしろにしていると、裾野が広がらず、衰退していくことも少なくないから、愚直に狭き門にしておけばよいってわけでもない。門戸は開いていたほうがよい。古参ばかりで煮詰まるのも腐敗と形骸の一因だ。
いっちょ噛みして甘い汁だけ吸って場を枯れさせていくような悪趣味な無礼者と、なんとなく興味をもったマナーに不慣れな新参者を、区別するのがきわめて難しい、というのが、ずっと人類のコミュニティやホビーの課題っぽいなあ、とはときどき思う。とはいえ、結局、「そんなの線引きできないだろ」を前提にするしかない感じもなくはない。根本的には個別具体での一対一の出会いを丁寧にやっていくしかなさそう。そういう日常の中の線引きを大事にしていくしかなさそう。ほどよく線引きしてみせるための細かい工夫ならたくさんありそうだから、そういった知見を共有していくのも大事っぽい。それでも賭けになりそうなところはあるけれど。
その空間のあたりはずれ率
メディアやジャンルごとの「当たりはずれ率」の違いって、やっぱりある気がするから、どういうふうに差が生まれるんだろう、といったことを最初は考えていたのだった。少なくとも「粗製乱造の比率」に違いが出てくる背景がありうるなら、そこの影響は大きそうだなとも思った。
あたりが多いジャンル
狭いコミュニティとかなら、「ここって当たりばっかりだな~」みたいな空間もときどきはある気がしていて、そこで過ごせているなら、たぶん幸せなんだとは思う。が、たいていそういう場所は脆い。衰退・消失と紙一重だ。だからといって、人を集め始めると、別の意味で、壊れやすくなってくる。そこまでいかなくても色合いは薄まる。質は下がる。そもそも、人が集まった場合、作りたい人と(みんなでわいわい)楽しみたい人の割合が変わるのがたぶん不可避で、意志もセンスも濃い作り手たちは、だいたい、居心地が悪くなり始め、去っていく。人の増加で作り手の濃度を維持するのはだいぶ厳しいっぽい。人を集める→薄まる→いったん増やすのをやめて質を高める→ふたたび人集めを再開する→薄まる→質を高める……、みたいな(段階的な一時停止をふくんだ)場が形成できたら、最高じゃん!!!って妄想してみることはあるが、こんなもん可能なんだろうか、とも思う。正直、永続しているのは見たことない。もとより仕組みや規則で縛れるのかもわからない。