世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年12月15日(月)それとそれを同列にしないで

時代をあらわす概念

令和人文主義、っていうくくりの中で、代表格としてくくられている(気がする)いくつかはとても好きなんだけど、逆に、いくつかは敬愛も信頼もあんまりないので、それらを統合して「語る」概念がつくられちゃうんだな~、と、じゃっかん絶望めいた気持ちにはならなくもない。知らないひとたちから見たら、ひとくくりのものに見えてきちゃうような地平を開かないでくれ~、って思う。

時流に乗って誰かが言い出し流通しはじめる概念って、いっつもそういう側面があるよね、とも思う。時代をあらわすためにとりあえず目立って見えるものすべてを取りこんでおきましょう、みたいな精神が垣間見える。取捨選択するとどうしてもかたよるからそれくらいの大雑把さがむしろ大事なんだ、ってことも、まあ、あるのかもしれないが。ともかく、こういう見通しだけ優先するみたいなふわっとした概念化が昔からあんまり好きじゃなかったなと思い出した。人類なんでそういうのよくやるの?って思っていた。ぼく都合でいえば、少なくともぼくから見て「素晴らしいもの」ばかりを、しっかりとくくって、その良さを抽出し、さらに推し進めていくくらいのスタンスで、概念が構築されてほしい、とか思う。

そこに不審なものが混じっているとそれが弱味だと看過されて「ダメな概念じゃん」って議論が始まっちゃうことも多いけど、時間の無駄じゃない?って気もするし。そもそも良し悪し切り分けられていたほうがしっかり議論できると思うし。