立体的に考える、は出てこない
「立体的に考えることができる」という言い回しを聞く機会があって、そうそう、そんな感じの挙動をイメージしながら考えてみたかった範囲があったんだった、と気づいた。こういう、「特に難解な概念を使っているわけじゃないのに、頭脳と概念の"相性"の問題なのか、なぜかあまり馴染めておらず、取り出してくることのできなかった表現、というものが、ときどき見つかる。こんなに簡単なことだったのに、ぼくの頭の構造上、ぜんぜん出てきてくれなかった、と、遡及的に感じさせられる現象がある。
「多面的に考えることができる」であれば、たぶん、ほとんど違和感も抵抗感もなく、出してこれたんじゃないかと感じる。意味も似たようなものだろう。が、"立体的"には、どうしても馴染みがなかった。思いつけなかった。なぜか使う機会が少なかった。身近になかった。ただ、こういう、親和性にもとづく用語の頻度の違いに気づいたりするのは、だいぶ好きかもしれない。ひととの対話や議論において、おもしれえ~、と感じる要因のひとつだ。