世界は称賛に値する

日記を書きます

水曜日の始まり

▼▼思考を必要としない文章、の、素敵具合を判定しかねている。判定の必要があるかなあ、という疑念が、躊躇している理由の一つだろう。あと、思考を必要としない、という形容の稚拙さと曖昧さに呆れているところもありそうだ。▼▼けれど、思考を必要としているか、していないか、というのはまあある。結構感じ取れるかな、って思う。おそらく境界線は「手癖」あたりにあるんだろう。慣例的で判断済みな手垢にまみれた理路を駆使しているか否か──と感じてしまうものを使っているか否か。▼▼けど、普通かつ地道にしみじみ語っていても、突然飛躍することだって、沢山あるから、特別な不満とか批難とかはない。むしろよいと思う。無理せず語って滑走路にしてしまえみたいに思える。

昨日出逢った。踏まえて生きていきたい的な感じです。記憶インデックス。

→ 「言語はきわめて複雑で巨大なシステムのようであり、バケツをみて「バケツ」と呼ぶだけでも、その言語システム全体がいろいろ絡まって動いていると私には感じられる。「ハトヤマです」「オザワです」と電話で名乗り合うだけでも、頭や心は激しくややこしく揺れ動くにちがいない」

→ 「単語の選びかたには細心の注意を。特にイメージが積み重なっていくような書きかただった場合、それに反するような単語をひとつ入れるだけで、全体のイメージが混濁してしまうおそれがある」

→ 「ある傑作を堪能したら、次は新たな傑作を求めてさまよい歩く。それが、フィクションを悦びとする多くの人の習性です。ただ、そのわりには、『紫色のクオリア』はあまりに長いあいだ話題に上り続けていました」

→ 「そういった意味で、やっぱり言葉ってのは指針というか、羅針盤というか、そういったもんなんだろうなあっと。感情+無意識補正なんか、度がきついメガネかけた自信過剰な方向音痴みたいなもんなんだから」

→ 「最終的に”お互いを理解しようと試み”たこと自体をよすがとして、関係性は構築される。でも、それが本当に相手を理解できたわけではなくて、ただ理解しようとしたことを信じるのみであるという認識を感じます」

→ 「夜には時間制限がない。極論すれば、「明日までに終わらせるには、徹夜すればいいや」という思考に走り、効率化よりも、がむしゃらに頑張ることが主眼になってしまう。逆に朝は、あらかじめ制限があるので、優先順位を考えて効率化することができる。「9時までに、会社に行かなくては」となれば、その前に何をやるべきかを考え、時間内に終了させるにはどうしたらよいかという工夫が生まれるのだ」