世界は称賛に値する

日記を書きます

ディシディア・ファイナルファンタジー

▼ぼんやりとFF7の爆破ミッションの音楽を聴きながら、聴いていて、思った。胸を躍らせて、心弾ませて、わくわくしながら、静かな緊張感を孕んで、孤高の元ソルジャーになりきって、アバランチとして爆破ミッションに参戦した、あの瞬間の、歓喜と冒険心を思い浮かべながら、というか、思い浮かんでしまいながら――反芻させられながら、ふと思ったのだった。▼後陣に対して、特に「初期のゲームや名作を知らないなんてもったいないなー」とか思ったことは、あんまりない。ないと思う。でも、機種の性能が――表現が――格段にずばっと進化して、おかげで「新しい世界」ががっつり拡がって、世界の気配を揺さぶられた時の感動は――同等の感動がほかで得られることはあるにせよ――同じ種類の思いは、現在だとあんまり得られないんじゃないかなあ、なんて考えてみたりしたのだった。▼独善的な判断かなあ。粗い印象はある。でも、やはり少し思ってしまう。正確に言うなら、自分に対して思ってしまっているんだと思う。新鮮なシステムや異世界的情緒でわくわくできることは、まだいつだってありえるにしても、いままさに僕は新しい世界に立ったぜ! とか言えてしまうような類の、いわば「別世界への感動」みたいなものを得るのは、もう難しいんじゃないかなー、なんて、現状に自分に対しては、おそらく思ってしまっているのだ。単に君の見る目がないせいだろ、もっと細かく見なさいよ、という指摘は、無論妥当だと思う。▼特にディシディアの話題ではないな。ま、なんていうかなー。映像とか画像が綺麗になったことを、かねてから、いやいいことなのでは? と考えていたところは間違いなくあって、なんてあたりの叫びと繋がっている思考なんだろうなー、とは思う。▼画面が綺麗になるとかあんまり関係ないっていうかゲームとしてはむしろどうなの、みたいな批難とか批評を見かけた時に、まあ確かにそうだけどさー、と思うところは確かにあったりはしたけど――つまり、画像問題が表現力とかゲーム性とかの話に転化してしまうことも少なからずあったと認識しているのだけど、でも、いやいや違うんじゃないかな、とは思ったりもしていて、雑に言ってしまうなら、新しい世界を見せてくれただけでありがたかったし、楽しかったし、嬉しかったし、だからもうオッケーじゃんか、というようなことを思っているのだった。むう。巧く言えてないかもだ。