世界は称賛に値する

日記を書きます

世界観をコントロールする

▼思考や感情をコントロールできる。思うがまま、好きなように、操れる、というわけではもちろんない。けれど、比較的コントロールするのが得意なほうだ、とは思う。なんてことを以前から考えてはいた。で、考えてたまに思うことがあった。おそらく私が得意なのは、思考や感情をコントロールすること、ではないのだろう、と。では、なにを得意としていると思っているのか。問うてみて、もしかしたら私が得意なのは『世界観を変えること』なのではないのか、なんて思ったのだった。正確に言うなら、得意、なんて言えるほどのことではたぶんない。やろうと思えば少しだけそれができる、なんていう未熟で稚拙なレベルの話ではあるのだろう、が。なんて思ったりもしつつ。▼世界観の違い、というものを、自分がすっきりできる言葉で説明させてもらえるなら、それは、世界を見るときに使っている背景の違い、だと言える。世界を解釈するときに下地にしてしまう命題の違い、なんて言ってもいい。数学を学ぶ人は数学に類する命題を使って、経済学を学ぶ人は経済学に関する命題を使って、政治学を学ぶ人は政治学に属する命題を使って、世界を解釈していることは、多い――意識的か無意識的かは不明だが、多いように思える。簡単な例を挙げるなら、そのあたりが好例になるだろう、と思えた。▼意識してそれを変えるのが得意だ。得意というか、たぶん苦手ではない。なぜか。未知だった『背景』を読書や対話や教示によって知って、新しい世界が見えたりして、こんな世界があったのか、と感嘆できるような状態が、もともと好きだったから、なのだと思う。好きだからこそ常に求めていて――常に求めていたからこそ繰り返してきていて――だからこそ、繰り返しただけの経験があったから――その経験のおかげで、それができるようになったんだと思う。