世界は称賛に値する

日記を書きます

13ヶ月と13週と13日と満月の夜(アレックス・シアラー)

13ヵ月と13週と13日と満月の夜

13ヵ月と13週と13日と満月の夜

 始まりの雰囲気と中盤戦の緊迫感は悪くなかったなあ、と思った。が、後半部の展開には軽く物足りなさを感じてしまった。ぎりぎりの攻防を求めていたからだろう。魔女の狡猾さがいまいち足りないよな、とか思ってしまったのである。機転と幸運で懸命に立ち向かう少女の姿が見たかった、とか思ってしまったのである。贅沢な望みというものか、とも思った。親友が欲しいと願う赤毛の少女カーリーが、転校生のメレディスと出会い、メレディスの祖母であるグレースとも出会って、狡猾で悪辣な魔女に立ち向かうことになる物語、だった。可能性を奪われる、ということについて思わず考えてしまう。時おり、死ぬ寸前に人間は人生を走馬灯のように思い出す、なんて言われたりする。という解釈から派生して、もしかしたらこうして今歩んでいるつもりの人生は『死ぬ寸前に思い返されているそれ』なのかもしれない、なんて言われたりもする。では実際に人生が『そういうもの』だったと想定してみよう、と思う。眼前の人生は『走馬灯のような回顧』であり、実際の自分は『死ぬ寸前の老人』だった、と想定してみた、わけである。さて、と改めて思う。もし『走馬灯のような回顧』が突然中断してしまって、強制的に『自分は死ぬ寸前の老人である』ことを再認識させられたとしたら、人間は、突然やってきたその事実に果たして耐えられるのだろうか――正確に言うなら、突然襲ってきたその事実に果たして私は耐えられるのだろうか。まだまだいろいろやれるさ、という思考が、希望に繋がっているのではないか、ということは感じる。だから余計に考えてしまうのだ。もしもその希望を奪われてしまったら、奪われた人間はどれだけの絶望を味わうことになるのだろう、と。