世界は称賛に値する

日記を書きます

囲碁ハジメマシタ

 散財するとなぜかすっきりする。ような気がする。が、これを納得できる形で合理化できたことがない。要するに、どうしてなのかよくわからない、わけだ。破壊願望か破滅願望に近似した感触があるような気もするんだけどな、なんて考えることもある。散財すること、を、おのれの所有物を破壊すること、あるいは、所有物を破壊することで結局はおのれの人生を破滅させてしまうこと、の亜流、として捉えているわけだ。最近の休みは水曜日と木曜日だ。なので、仕事は休みだった。池袋のジュンク堂に向かう。最近あんまりお金使う機会ないし、欲しい本くらい好きに買っちゃってもいいんじゃないかなあ、というような思考を持ってしまっていたせいだ、と言っていい。ジュンク堂は9階建て。いつも通りすべての階を少しずつ覗いていく。最近は、少なからず興味を持ってはいたものの詳しいところは全然知らなかった分野の専門書、を眺めるのが好きだ。凄く好きだ。もうほとんど趣味だな、とすら思う。ファッションや将棋なんかの専門書を眺めていた。眺めながら、友人のカズ氏と連絡を取っていた。池袋にいるから飯でも食おうぜ、と誘う。探索を終了したジュンク堂では結局三冊の書籍を購入することになった。カズ氏と合流したあと、西口のサイゼリアへと向かう。囲碁を始めようか、なんて話をしていた。ら、では囲碁の携帯版と入門書でも買ってみようか、という流れになった。移動して購入する。実験的に打ってみた。惨敗を喫してしまった。初めてで戦法がよくわからなかった、なんて問題ではたぶんなかった。単純に、思考に隙がありすぎるんだよな、という問題が間違いなくあった。次の一手で簡単に無効化されてしまう手、を選択してしまうことが多かったからだ。最近はそういった『隙』をかなり自覚している。不満に思っていたりもする。だから、注意をフレームワーク化することでどこまで隙を減らせるのだろう、というようなことを頻繁に考えていたりもするのだった。MECEって大切なんだなあ、と思う。