世界は称賛に値する

日記を書きます

倫理に対しても解釈の問題が道を阻む

 意味づけをコントロールするのが比較的得意なほうだ、と思っている。だからこそ逆に思うのだ。対象の『良いところ』を積極的に見つめ、掴み取ることで、ポジティブな解釈をアウトプットすることができる、し、対象の『悪いところ』を積極的に見つめ、掴み上げることで、ネガティブな解釈をアウトプットすることができる。なら、対象のすべてを見たときアウトプットされるもの、は、果たしてどんなものなのだろうか。というか、そもそも、すべてを見る、なんていうことが人間に可能なのだろうか。もしも可能だとしたらそれはどんな姿で行われるのだろうか。たとえ不可能だったとしてもどこまでなら辿り着けるのだろうか。なんて風に思うのだった。おもしろそうな領域だなあ、と思う。