世界は称賛に値する

日記を書きます

怒りに値すること

 怒るのと叱るのは違うよな、ということを前から考えている。私は怒るのが嫌いだ。感情のコントロールを失うのが嫌いだからだろう。そして時おり考える。人は何か『怒るに値すること』があって怒っているつもりなのだろうけど、怒るに値すること、なんて本当にあるのだろうか、と。たとえば、何の関係もなく文句を言われたら大抵の人は怒りを感じるだろうし、何の脈絡もなく殴られたら大抵の人は怒りを感じるだろう、と思う。けれど、いついかなるときでもそうだ、とは言えないのではないだろうか。私が想像してしまうのは、監禁されて誰にも会うことができず、気が狂うほどの孤独を味わわされ続けた直後の人間だったら、もしかしたらそういった状況にさえ歓喜や幸福を感じてしまうのではないか、というようなことだ。極端な例でわかりにくくしているかもしれない。