世界は称賛に値する

日記を書きます

嫌悪の理由

 嫌われてる人は嫌われてることをちゃんと自覚して生きているのかな、と考えることが最近は多い。そんなもん嫌われて当然だろ、と思える行為を躊躇せずに取っている人が多いからだ。そういう人たちは、そういう影響をちゃんと自覚していてなおかつその行為を選択しているのだろうか、という疑問である。まあたぶん気づいてないんだろうなあ、と想像する。おそらくは、経験不足ゆえ、なのだろう。経験不足だから、その行為が嫌悪に繋がる、ということに思い至らないのだと思う。では、それを指摘したり忠告したりしたほうがいいのだろうか、とも考える。というような思索をいろいろとめぐらせてしまうくらい、あの人が嫌いなんですよう、という話を聞く機会が増えている。今日も休憩中の夜番スタッフからそんな話を聞かされてしまった。こういう話を聞いて、それじゃ嫌われて当然だよな、と感じると、純粋な疑問として、嫌われてるわけだけどそれはちゃんと覚悟してやってるんだよね? と訊いてみたくなる。ごくごく単純にそのことを疑問に思うのだ。が、こういう疑問はきっと、当人には、嫌味な皮肉に聞こえてしまうのだろう。それが厄介だ。この種の疑問は皮肉に変換されがちだから面倒なんだよな、とよく思う。