改行位置テスト(頻繁に改行する)(内容は一昨日のやつと同じ)

【改行で遊ぶ/試すテスト】【のための追記。まえがき】
 一昨日の日記を読み返していて、判りづらさが気になった。
 気になって、直したいなー、と思った。どこから直そう、と思った。
 文脈的に言葉が足りてないところを直さねば、って思った。
 で。
 書き足さねば、という発想と同時に頭に思い浮かんだが、いわゆる「文章が詰まってないほうが見やすくて読みやすくなるよ」という通説のことだった。
 見やすさと見づらさ
 判りやすさと判りづらさ。
 この二つの関係性って実際のところどうなっているんだろう。
 読みやすくすることで「脳に浸透しやすくなる」というか、そういう染み通りやすさから「判りやすさ」に繋がっていくところ、っていうのも、ほんとうにあったりするのかな? 
 って思い始めたりしたのだった。
 改行をこまめにしたほうがいいよね……、って助言する文化圏は見かけたことがあったし、読みづらいせいで判りづらくなってる、ってツッコミも過去に効いたことがあるような気がしたのである。
 うーんそうか、だったら、今回は、文章を書き足して修正するんじゃなくて、文章間の距離を直してみてどうなるか試してみようかな。
 とにかく、まず、読みやすくしてみたらどうだろう。
 そんなふうに思ったのだった。
 文章の「見た目の距離」を調整することで──たとえば改行の量を増やすことで、見やすくさせ、読みやすくさせ、脳に与える印象を変えて、文意すら判りやすくさせちゃうよー、ってことの、可能不可能、を試してみたくなったのだっった。
 というわけで、以下は、一昨日の日記と同じもので、改行量だけ違うもの、になっております。
 読み返してるあいだ、言葉をちょこちょこ書き足したくなったけど、とりあえず拒否した。


推薦文を頻繁に見かける時期だ。
推薦文を読むのは好きである。
書くのも好き。
ただ苦手意識があるというか。たどたどしくこわごわやってる印象がある。
効果的な書きかたが判らない、対自分で想定してもうまく掴めてない、という印象が強いのだった。



文章の文体、演劇や映画の演出、ボードゲームのルール、コンピュータゲームのシステム、などに触れた推薦文を「難関」と見てるな、って、経験を整理していて思った。
雰囲気を形作るものたちを言葉で説明するのは難しめ、って思ってるようだ。
そして、雰囲気を薦めたがっているのだな、というのも思った。



切り口やコンセプト、テーマ、ストーリーの流れ、は比較的書きやすい要素か。



感覚的なもの──非言語情報は言語変換に手間がかかる、というようなこと? って思ってよい話だよね?
いやまあ当然だろ感もあるけれど……。
となると、切り口やコンセプト、テーマ、ストーリーの流れ、は感覚的なものではないのね? って言えるのかな?
言語的なものである、と思ってよいの?
感覚的な──非言語的な、切り口やコンセプト、テーマ、ストーリーの流れ、は、ない、って言っちゃってよい?



切り口やコンセプト、テーマ、あたりは、最初から「言語変換後に立ち上がってくる概念」なのでは? 
少し前に考えた「結論部、のようなものは、言語があるところでしか伝達しえない?」みたいな話に似てるような……。言葉がないと総括できないとか。



ストーリーは?



ストーリーは少し違うかな……、と思ったけど、ストーリーは出来事、っていえる面があるかと思うし、出来事って言語変換するのそんなに難しくないんじゃないの?



というか、演出もルールもシステムも、出来事として何が起こっているのか、だけを書くなら言うほど難しくないんじゃない? 



具体的に起こってる出来事/事象、と、実際に目の前にある出来事を読み取った時に心の中に発生してる情感、の区別ができてないというか、諸々の具体的な出来事から人間が何を感知しているのか、にまで触れようとすると難しくなるぜ、って話に見えてきた。



以下、追記。



言語的に記述しやすい具体的な「出来事」と、具体的な状況を受けて人が感じる「雰囲気」との間で、線引きして、いろいろ考えてみよう、というような思索の流れに、いつの間にか、なっていたけど、
聴覚(音楽)や味覚/嗅覚のような「出来事」寄りのものでありつつ非言語的(出来事を人間が「雰囲気作り」してるものではないような)もの、に関する視点も、途中途中で混ぜちゃってた気がした。



美味しい料理、よい香り、の推薦文の困難さ、も、話に絡ませるべきだったというか、脳内では絡んでたのに、絡めた意識が薄くて、文章化の際に書き添え忘れてしまった、って状況になってた。


【改行で遊んだ/試してみたテスト】【のための追記。あとがき】
 改行を増やした。
 というより、機械的に句点で改行しまくっただけかな……。
 これって判りやすくなってます? 
 誰かにそう聞かれたら、うーん、って少し渋い顔か苦い顔を向けちゃいそうだけど、だからといって、いやーぜんぜん変わってないですね、とツッコまれたら、ええー、そうかなあ、と思ったりもしそうである。
 微妙だ。
 手触りがぜんぜん変わってない、というほどではないと思う。
 でも、判りやすくなったかというと、断言はしづらい。
 判りやすさ、って基準じゃないところの何かが変わっただけのような気もするし。
 でもそこが変わったことは、まあまあ悪くない効果も発揮してる気もするし。
 なんとも言えない感じである。
 微妙である。
 そして、いずれにせよ、もともとの文章の流れが情報不足過ぎるだろ……、と思うところがかなりあって、そこばっかり気になったりもした。
 接続詞や代名詞が足りてない。
 意味、論理の流れを掴むのに、直前の文を読み返したりして、なんていうか「理路の構成」をじぶんで行なう必要がある。ありすぎる。
 これは、でも、普段から持ってる難点だよなあ……、という気もしますけど。
 とにかく、改行増やしたところであんまり手触り変わらなかったな、って感覚だ。
 改行増やすくらいなら言葉を増やしてくれよ、って感じだった。
 ていうか情報が足りてない──言葉が足りてない、って難点がおおきすぎて、改行量の調整なんかじゃぜんぜん変質させられなかったぞ、って言える感じかなあ。
 簡単に言うと、もとの文章がスカスカだったせいで、読みやすさとかじゃ補助しきれないような問題を抱えてしまっていた、なんて言えると思う。
 言葉足りない問題がおおきすぎて、改行での調整の話が霞んじゃったというか、初期設定とか周辺情が不安定すぎて、改行量で判りやすさってどう変わるんだろ、ということに対する試験としては失敗だった、というか。
 もっと論理構成自体はちゃんとしてて、でも、言葉や理路の密度が濃すぎて読みづらい、みたいな文章で試さないと、駄目だった。
 最初から味付け失敗してる料理で塩加減のテストしてしまった、みたいなことになったかと思う。
 まあ、面白かったは面白かったので、またやろう。