理解→理解

▼▼Xの形状や挙動を理解するためにYから得たイメージを援用している、という、所持している「理解」を活かすことで次の「理解」を掴んでいく、ような、理解と理解を繋ぐ矢印、理解と理解のあいだに流れる海流、のようなものが、おのおの、異なっているのではないか、って思えているところはあって、ここを「独自性」として持ち上げつつ、見せつけながら、芸術、文章、といったものを作っていく、という切り口が、あるのではないかなあ、と最近は思ったりもしている。ぼくだけが出せる比喩、というものが旨味になる気がする。というか、美味しくいただいていることがある。